OPINION 1 識者が振り返る人事管理の20年 進む多様化、グローバル化――解決のカギは「仕事と役割」にあり
過去20年の間、企業の人事管理において進んだのは「成果主義」だった。一方、働き手の多様化が進み、外部環境ではグローバル化の波が押し寄せた。伝統的な人事管理が機能不全に陥る中、解決の糸口を模索し続けた日本企業。日本企業独自の良さを生かしながら、変化の激しい時代に適応するには――学習院大学 経済学部 経営学科 今野浩一郎教授に聞いた。
引き返せない成果主義の道
──人事管理をめぐるこの20年間の変化とは。
今野
すでに1980 年代、日本的経営は繁栄の陰で変革を迫られつつありました。高度経済成長が終焉を迎え、規模を拡大することが難しい時代になったことがその背景にありますが、それと共に国際競争の激化の中、経営の高付加価値化を進めなければならないことや、市場の不確実性が増す中で、市場の変化に柔軟に対応できる経営体質をつくらねばならないということがありました。そのおかげで、従来の年功制は企業にとって負担となる制度になってしまいました。高齢化が進んだことが、それに拍車をかけています。また有期契約などの周辺社員を増やす企業が相次ぎ、それまでの正社員中心だった雇用ポートフォリオは変化していきました。
さらに最近では、国内市場に固執していたのでは成長に限界があることから経営のグローバル化が急速に進み、国際的に活躍する社員の育成、処遇も問題になっています。
このように、人事管理は常に歴史の制約を受けるもの。かつてうまく回っていた仕組みが機能不全に陥るのは当然のことでしょう。そこで導入されたのが仕事と成果を重視する「成果主義」です。
──成果主義が日本になじむはずがない、といった批判もありましたが。
今野
もちろん、初めから完璧な制度など存在しません。トライ&エラーを繰り返しながら改善していくしかない。よく指摘される「行き過ぎ」というのも、試行錯誤の範疇といえるのではないでしょうか。仕事に基軸を置く人事管理を行う米国企業も、試行錯誤を重ねて現状にたどり着いたといういきさつがあります。
1980 年代までの米国は、かつての日本と同様、巨大な国内市場を相手に牧歌的な人事管理を行っていました。ところが、やがて競争が激化し始め、株主価値が重視され、IT化も進みました。組織形態が市場や製品に基づいて変貌し、人事管理に市場原理が組み込まれるようになったのは当然の流れかもしれません。
1980 年代以前の、極端な職務の細分化も見直されました。かつての米国企業では、職務給が40 階級に分かれているといったところもザラだったのです。ところが市場が急スピードで変化し始めると、各人が決められた狭い範囲の仕事しかしない仕組みでは、とうてい対応できなくなります。そこで職務給の階級をぐっと減らし、一人ひとりの職務の幅を広げたのです。これがよく知られている「ブロード・バンディング」です。
そうなると、職務は同じでも能力で賃金に差が出ることになります。そこで日本でいう職能給的要素を取り入れた結果、現在の人事管理にたどり着いたのです。
日本も米国もグローバル化や市場の変化に対応しようと、人事管理の改革を進めてきました。この潮流は歴史の必然でしょう。景気が改善したとしても、もはや後戻りはできません。