巻頭インタビュー 私の人材教育論 グローバル化の成功には崖っぷち経験が不可欠だった
創業1919年という、ポンプメーカーのパイオニア、酉島製作所。国内では上水道施設や下水処理場、排水機場向けなどを中心に多種多様なポンプを、さらに海外では海水淡水化プラントや発電所などにハイテクポンプを提供している。
世界100カ国以上で自社製品を販売し、15カ国に拠点を広げるなど、目覚ましいグローバル展開を遂げている同社。だが専門性の高いハイテク機械だけに、その途上には予想もつかない苦労があった──。
「人材は増やせなかった。だから質を上げることで勝負した」と語る原田耕太郎代表取締役社長に、その経験を聞いた。
ハイテクポンプを世界へ
――この10年間で酉島製作所のポンプは世界100カ国以上で使用され、海外売上比率は60%を超えました。リマンショック、東日本大震災、原発事故などの試練が続いた中、飛躍的なグローバル化に成功した理由とは。
原田
2003年にTGT(トリシマ・グロバル・チーム)という特別チームを発足させ、以来、海外展開を本格的に加速させてきました。具体的には、信頼できる海外のパートナーを見つけ、アライアンス、M&Aで生産とサービスの現地化を図ってきました。現在では欧州をはじめ、中近東、中国、インド、豪州、米国と、世界中にネットワークを広げています。
振り返れば、この10年間は革新の時代でもありましたが、同時に厳しい時代でもありました。そこには、ポンプメーカーという立場ならではの事情も働いていたかもしれません。
――特殊な機械だけに、業界事情も独特なのではないでしょうか。
原田
ポンプは社会基盤に欠かすことのできない機械です。上下水道、発電所、排水施設、工場、農業用水施設、海水淡水化プラント――いずれもポンプが不可欠です。その働きは外から見えませんが、ひとたび停止、故障すれば一大事です。人体で言えばまさに心臓と同じですね。ところが、競合先はさほど多くありません。高水準の安全性やエネルギー効率などが求められるうえ、大型機の場合は1台1台受注生産でつくらなければならず、開発製造に手間のかかる機械だからです。まず、設置する施設によって仕様がまるで違います。例えば、高槻市内の当社本社工場から水を送る場合、JR高槻駅までと新大阪駅までとでは、必要な水の量や圧力が違いますよね。距離も地形の傾斜も異なるのですから、ポンプの大きさも変わりますし、発熱量や騒音を最小限に抑えるためのシステムも異なります。もともと市場規模がさほど大きくないことに加えて、こうした事情や景気後退の影響から、大手はすでに軒並み撤退しています。
――グローバル化のきっかけは。
原田
国内のインフラ整備はほぼ完了しているため、1998年度に約1800億円あった公共事業の市場規模は2010年度には約600億円に落ち込みました。業界そのものが縮小しており2003年にTGTを発足し世界に打って出ようと決意したのは、「このままでは未来がない」という切羽詰まった思いがあったからです。ただ、業績が苦しくなってもリストラをするつもりはありませんでした。当社は1940年代に大規模な人員削減を行っており、その時の痛み、反省から「二度とリストラはしない」と社是にも誓っているからです。また、専業メーカーですから、人員を削ればその分、生産力は落ち、部門間の連携、技術の伝承にも支障が生まれます。
ならば、海外に市場を求めようと。「同じ失敗なら後退するより前向きで行こう」と考えました。