巻頭インタビュー 私の人材教育論 めざすは大阪発 世界初。 人間、小さく縮こまらず壁も国境も突破すべし
「千客万来都市OSAKAプラン~全員参加で『大大阪』『大関西』をつくろう」2011年度から取り組んできた3カ年計画の第2期に入った大阪商工会議所。地域の中小企業の力を結び付け、「大阪発世界初」をめざすその姿は、グローバルビジネス、グローバル人材の開発においてさまざまなヒントをもたらす。苦境を乗り切る力、先を見通すための洞察力とは。大阪の底力を発掘、発信する同会議所会頭で、京阪電気鉄道最高顧問の佐藤茂雄氏に聞いた。
進んでみなければ未来は見えない
――日頃からご講演やコラムでは、古典をはじめ、さまざまな文献を引用され、広くメッセージを伝えておられます。座右の銘はどんな言葉でしょうか。
佐藤
本や俳句で出会った言葉を大切にしています。言葉には言霊――魂が宿ると信じていますから。考え抜かれ、絞り出された文章の力は強いですよ。座右の銘は数々ありますが、印象深いのは「霧襖進めば少しずつ開く」という俳句。大阪生まれの俳人・西宮舞さんの作です。生駒山中を旅した際、乗っていたバスが濃霧の中に迷い込んでしまった時のことを詠んだものです。全く先が見えない状況にあっても、立ち往生しているだけでは何も見えてきません。しかし、そろりそろりとでも前進してゆけば、少しずつ霧の晴れ間が見えてくる。この句に出会ったのは2001年頃でしょうか。経済界全体が重苦しい空気に包まれている中、京阪電気鉄道の社長に就任したばかりだったので、非常に勇気をもらいました。
――2001年6月に京阪電気鉄道 代表取締役社長に就任され、2007年に代表取締役CEO・取締役会議長、2011年には取締役相談役、2013年から最高顧問となられています。当時、京阪電気鉄道では、2001年に中之島新線を建設着手決定、2008年10月には開業。関東も含めた全国エリアでの事業多角化を推進されています。一方、子会社の整理統廃合など、大胆な革新が行われました。
佐藤
京阪電気鉄道の苦難の時代の経営者、太田光熙の言葉に「善いと思うことは一度試みにやってみるがよい。その結果が悪ければ、止めるまでだ」というのがあります。「やってみなはれ」というチャレンジ精神を説いたわけですな。やらない理由はごまんとありますから、皆、問題点を分析してばかりで動こうとしない。しかし、進まないことには何もわからないのです。
日頃、たくさんの中小企業をお訪ねし、どのように困難を乗り越えてきたか、お話をお聞きしていますが、皆さん、本業が立ち行かない時は、自社の持てる技術、ノウハウから枝葉を伸ばし、新しいビジネスを生み出してこられている。利益が苦しい時代にはそれが支えとなり、景気が回復してきた今は、本業への設備投資の原資となっています。失われた20年間、日本全体がしんどかったが、大阪にもしんどい時代が続きました。そんな中、中小企業の皆さんは創業の精神を失わず、創意工夫を重ねながら手さぐりで前進してきたのです。彼らの姿はそのまま、企業における自立型人材のモデルと言えるのではないでしょうか。