人材教育最前線 プロフェッショナル編 専門性に特化した自発的学習が世界を捉える人材を育てる
世界に44の事業拠点を展開するトランスナショナル企業、SMK。全事業所共通の人材開発プログラムに加え、世界共通基準の能力評価システムを運用する同社では、“社員一人ひとりが成長することを願い、会社は積極的にサポートする”ことを人材育成の理念の1つとして掲げている。そして、それを具現化しているのが人事部 部長の八陣三樹雄氏である。「良いと思ったことは何でもやる」。10年にわたる海外勤務の経験から日本の教育体系を一刀両断し、専門性に特化した自発的学習を推進する八陣氏に、その想いを聞いた。
海外での経験と実績が人事部長としての土台に
人事部 部長の八陣三樹雄氏が昭和無線工業(現SMK)に入社したのは20 代後半の1983 年だった。大学卒業後、造船・土木の資材メーカーでモノづくりに携わっていたが、これからの時代は、“重厚長大”ではなく、“軽薄短小”産業に期待ができると考えたのがきっかけだった。「電子部品をつくっている会社を希望していたところ、当時、VHSデッキの部品を製造していた昭和無線工業を知ったのです」将来性を強く感じ、入社を決めたという。入社すると八陣氏は生産管理部に配属された。SMKはいわゆるファブレス企業で、生産部門を自社で持っていない。各地の事業所の周辺に、工場である多数の子会社や協力会社が隣接する生産体制をとっている。八陣氏は30 歳でその生産子会社の1つに出向。課長職として4年間現場を統括すると、生産部生産二課の課長として本社に戻った。「当時は生産の管理をすることだけで精一杯。まだ人材教育的な視点からのケアには及びませんでした」だが翌年の1996 年、ブラジルの子会社の社長に就任。さらにその2 年後には、アメリカ・サンディエゴにあるSMK Manufacturing Inc.の副社長、翌年には社長に就くと人材の育成に本格的に携わるようになった。ブラジルの子会社では2つの工場の従業員約500人を率い、SMKManufacturing Inc.時代には、アメリカの他にメキシコの工場も統括した。「海外には10 年駐在していました。そこでの経験と実績があって、人事部長に抜擢されたのだと思います」と八陣氏は振り返る。1980 年代、SMKはマレーシアやヨーロッパ、中国、フィリピンなどに次々と工場をつくり、生産力を高めていった。当時、1985 年のプラザ合意を契機とした急激な円高で、一斉にモノづくりが海外に移っていったことも背景にあった。その後、海外とのやり取りは急増。現在、同社の海外生産比率は約7割、海外売上比率は約8割を占めている。こうした流れを受け、SMKは海外で経験を積んだ人材を日本本社の管理部門の長に据え、国を越えて事業活動を行うトランスナショナル経営の推進を図ってきた。実際、八陣氏を含め、現在の経理部長、生産管理部長、経営企画室長は全て海外事業所の駐在を経験したメンバーだという。