巻頭インタビュー 私の人材教育論 明るく楽しく元気よく! スローガンはシンプルに
グンゼといえば肌着や靴下で知られる老舗メーカーだが、実は営業利益の5割を占めるのは「機能ソリューション事業」である。パソコンのタッチパネル、手術用縫合糸などのメディカル材料が伸びているほか、ペットボトル用のプラスチックフィルムでは国内シェア1位。いずれも靴下のパッケージフィルムから生まれたビジネスである。工場跡地を利用した商業施設、スポーツクラブ事業も展開している。そうした創業以来の伝統には、技術だけでなく、人づくりの知恵も潜んでいた。その秘密とは。
「そいでよか」が一人前にしてくれた
――長年の伝統を基盤に、多角化に成功されています。そもそも創業は118年前とか。
児玉
1896(明治29)年、地域産業である蚕糸業の振興を目的に、郡是製絲株式会社として設立されました。創業の地である現在の京都府綾部市はもともと養蚕が盛んな地域でした。しかし、丹後ちりめんや西陣織の消費地に近く、品質が悪くても売れる環境であったのでしょう。そんな中、それではいけないと創業者の波多野鶴吉は、「心が清ければ光沢の良い糸ができる」との考えのもと、周囲から「郡是は表から見れば工場だが、裏から見れば学校だ」と言われるほど、人材を育てることに力を注いだと伝えられています。
――ご自身が育ったのは。
児玉
出身は鹿児島です。鹿児島には、「郷中(ごじゅう)教育」※と呼ばれるボーイスカウトのような独特の教育システムがありました。「共励斎(きょうれいさい)」という公民館のようなところで、幼い子どもから青年まで、みんな一緒に相撲をとったり、遊んだりするのです。そのうちに人間としても男としても、一人前になっていくわけです。私も学校から帰ってカバンを放り出すなり、そこへすっ飛んでいったものです。そこで教えられた言葉が2つあります。1つは「議を言うな」。年下の者は年長者を敬い、あれこれ理屈を言い立てるな、ということです。もう1つは「げんねこちゃするな」。「げんね」とは方言で、恥ずかしいという意味です。こうしたことを年下に教える年長者にも、それだけ徳が求められるわけです。西郷隆盛は血気盛んな青年たちにかつがれ、最後は自刃しますが、口癖は「そいでよか」だったそうです。自分が育てた者たちを信頼し、任せ、最後は自ら責任を取る。「そいでよか」には西郷の度量の大きさ、人間としての徳の高さを感じますね。自分の背中を見せて、あとは思い切りやらせてみればいいのです。
――児玉社長も「そいでよか」の精神で人づくり、組織づくりをやってこられたのですね。
児玉
私自身、いろいろ提案して「そいでよか」と上司に言われ、任せてもらってきました。たとえば34歳の時、日英合弁会社の鋳物工場に出向しました。連結子会社ではないし、小規模の新規事業で本社は大して投資もしておらず、細かい財務内容の報告を求められるわけでもない。つまり、自由なフィールドです。「こいつに思いきりバットを振らせてやろう」という当時の上司のはからいだったと思います。後に、この鋳物工場は円高のあおりを受けて、パートナーの要請により売却することになりました。ある中小企業が買い手として名乗りを上げたのですが、問題は売却価格です。最低ラインを試算したうえで交渉の席に臨みました。ところが相手の社長さんは世間話を続け、なかなか価格の話を切り出しません。しびれを切らしそうになった時、彼が提示してきたのは思ったよりずっと低い額でした。「決して買いたたこうというのではありません。事業を継承していくため、出した答えがこの額なのです」
嘘偽りではなく、心底からの思いであることが相手の口調からひしひしと伝わってきましたので、その場でその額を飲みましたが、私を信頼して任せてくれている当時の社長に何と説明したものか、別れた後悩みました。ところが、本社に戻り社長に報告すると、返ってきたのは「それでいいよ」の一言だったのです。信頼して交渉の一切を任されていたことの嬉しさ。あの時の感動は言葉になりません。その工場は今でも立派に操業しています。1989年、アメリカの合弁会社に出向したのも、その上司の采配でした。年に一度くらい様子を見にアメリカにやって来るのですが、赤字続きの時も決して叱責したりせず、逆に家族のことまで心配して激励の葉書や手紙を頻繁にくれました。「これは何としても頑張らねば」という気持ちになりましたね。