ART 日本美術家列伝 室町~江戸時代前期篇 順風満帆に画壇の覇者まで駆け上った大絵師・狩野永徳 矢島 新氏 跡見学園女子大学 教授
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狩野永徳は狩野派の棟梁・松栄の長男として生まれた。生年はポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲が伝来した1543年である。その鉄砲を武器に天下に覇を唱えたのは織田信長だが、信長に取り立てられて、永徳は画壇の覇者となった。
日本の絵画史を見渡しても、永徳ほど血筋の良い絵師はいない。父松栄は狩野派を築き上げた偉大な元信の三男なので、永徳はレジェンドの孫にあたる。永徳はこの祖父に、幼いころ、ことのほか愛され、物心がつき始めるころから、元信の英才教育を受けたという。室町幕府第十三代将軍足利義輝が三年ぶりに京都に帰った際、元信は将軍に拝謁しており、その時まだ十歳の永徳を同伴している。孫によほど期待をかけていたのだろう。
祖父らの期待に応えて、永徳は順調に大絵師への階梯を駆け上っていった。九歳年上の信長との関係がいつごろ始まったのかははっきりしないが、天正四年(1576)に建設が始まった安土城の障壁画制作を、信長から命じられている。安土城は現存しないが、その豪華さは語り継がれるところで、信長一代の基本史料である『信長公記』によれば、地上六階地下一階の七層構造の巨大な城郭で、数多くの部屋の襖や壁には、金をふんだんに使用した豪華な絵が描かれていたことがわかっている。そのすべてを永徳一門が請け負ったのである。