人材教育最前線 プロフェッショナル編 人を育てる風土によって 企業はさらに強くなる
急成長企業であるがゆえ、マスコミに頻繁に登場し、2010 年に売上高1兆円を目指すという大きな事業目標から、即戦力の人材しか生き残れない厳しい社風だと誤解を受けることも多い。しかし、2000 年に設立した研修機関の「ユニクロ大学」では、店長の基本教育と経営者の育成を徹底的にサポート。その中心で活躍する吉澤広和氏は、とくに上司と部下のコミュニケーションに力点を置き、人を育てる社風が企業を強くすると信じる。氏に業務内容の数々を聞いた。
大手銀行の改革に揉まれ人間の大切さに気付く
人には人生の転機となる「出会い」がある。大手銀行に16年間も勤めていた吉澤がユニクロに転職を決めたのは、ある運命的な出会いがきっかけだった。
銀行では主に企画畑に所属し、行内の収益を管理したり、戦略を考えたりする仕事に取り組むものの、バブル崩壊とともに業績は悪化。当時の銀行といえば、稟議書を1つ通すのもいくつもハンコが必要で、まさに旧態依然といった体質であった。この古い体質にメスを入れなければならないと考えた吉澤は、本部の組織改革を提案し、決裁権限の制度を見直すなど、仕事のスピードアップに着手した。
「従来のルールを徹底的に見直し、様々な改革にチャレンジしましたが、最終的にすべてを決定するのは『人』であるという結論に達したのです。どんなに素晴らしいシステムを確立しても、当の人間がやる気にならなければ、仕事のスピードアップが叶うはずはありません。これは社員の意識を根本から変えていかないと、会社の変革は不可能だと思いました」
この時期に人材教育の大切さに目覚めた吉澤だが、合併銀行の改革となると想像以上の困難に直面した。どうするべきか悩んでいたとき、たまたま当時ユニクロの社長だった柳井正氏の講演を聞く機会に恵まれる。これが、運命の「出会い」であった。
2000 年、現在でも人気のフリースが大ヒットしたユニクロは、高品質・低価格のカジュアルブランドとして老若男女から支持され、社会的なブームを巻き起こしていた。
「じつは当時、ユニクロについてまったく知りませんでした。柳井社長の第一印象ですか?
ずいぶん大きなことを言う人だなと(笑)。でも、非常に興味を惹かれ、初めて自宅の近所のユニクロに行ってみて驚きました。商品をはじめ店舗のスタッフが、トップの言っていることをすべて実践していたのです。これは凄い会社だと思いました」
2000 年11 月、吉澤は16 年間勤めた銀行を辞めてユニクロに転職した。2000 年といえば、ユニクロブームが絶頂を迎えた頃である。全国に約300 店舗を数えるユニクロにとって、チェーン店を強化していくために、人材教育が至上命題であった。吉澤は人事部に配属され、人材教育の分野に足を踏み入れることになった。その後、2002 年に店舗トレーニングを担っていた部署とあわせて「ユニクロ大学」が設立され、そこの一員となった。
柳井氏のDNAを詰めた1冊の本をつくりあげた
「ユニクロ大学」の目的は2つある。まず1つ目は店長としての基本教育。店舗の運営方法、システムの有効利用、商品の販売計画の作り方、さらに店長は店舗の長として、どうあるべきかといった商売の基本を、この組織を通して真剣に勉強してもらう。
2つ目は経営者の育成。本部のリーダーや部長に、経営についてもっと考えてもらうこと。例えば様々な分野で活躍する人物に講演をお願いするなど。さらに、上司の基本教育や評価に対する考え方も、この組織を通して指導していく。