My Opinion ―② 日本のCS 経営の先駆的企業 リコーの実践者が語る
わずか3 名でスタートしたリコーCS 推進室。その中核を担ったのが田村均氏だ。
当時「CS」という言葉が世の中でほとんど知られていない中で、CS 推進室を立ち上げたのが1993 年。
この立ち上げから日本経営品質賞を受賞した1999 年までのCS 推進室の歩みは、日本企業のCS へのあくなき探求の歴史とオーバーラップする。
田村氏のCS への取り組みを見ながら、リコーの顧客価値経営の成り立ちを知る。
営業マンからCS 推進室へ
リコーの顧客価値経営は、1999年度の日本経営品質賞受賞によって広く産業界に知られるようになったが、眩い賞賛の渦中には、いつも1人の男がいた。
田村
均。
現在、販売事業本部審議役の重職にある田村氏は、14年前に無手勝流で飛び込んだCS の世界に身を捧げながら、“顧客価値のリコー”を構築してきた。身を捧げ、と記したのは決して誇張ではなく、ましてや田村氏の情熱を揶揄した表現ではない。田村氏が差し出す名刺の裏には、こんな名前が記されている。
〈Hitoshi Xavier Tamura〉
Hitoshi Tamura は田村の本名そのままだが、姓と名の間に見慣れぬミドルネームが、入っている。
田村氏が、説明した。
「ザビエルというミドルネームは、私が入れたもので、自分は顧客価値経営を説く宣教師であると、強く自覚するためのものです。長年、顧客価値を推進する仕事をやっていると、分不相応なお褒めをいただくこともありますが、つねに初心を忘れず、宣教師としての使命を胸に刻みながら、皆さまのお役に立っていたい」
ミドルネームのXavier は、田村氏自身が自己に課す戒めの覚悟、でもある。
続いて、顧客価値経営の生き字引ならぬ、“生きた経典”となった田村氏のキャリアを追いかけながら、リコーが顧客価値経営を構築した足跡を検証していくことにしよう。
かつて、リコー情報システムの営業マンとして靴底を減らしていた田村氏は突然、リコー本社のCS 推進室への異動を命ぜられた。スタッフはわずかに3人。喜び勇んで本社に出勤してみると、田村氏専用の机も椅子も準備されていなかった。
怪訝に思った田村氏が上司に訊くと、こう言われた。
「机や椅子が、必要ですか」
「いや、いくらなんでも机がなければ僕だって仕事になりませんよ」
「でもね、CS経営っていうのは、リコーでも初めてやることですから、社内にはCS 経営を知っている人間はいませんし、何の資料もありません。だから、田村さんには徹底的に社外に飛び出して、知識や情報を貪欲に吸収して欲しいんです。それでも、机は必要ですか」
「……」
これが、田村氏とCS の出会いだった。
お役立ち=浜田思想とマルコム・ボルドリッジ賞
田村氏の生活は、一変した。書店でみつけたCS というタイトルの本を片っ端から読破し、CSをテーマにしたあらゆる講演会や勉強会に出かけ、CSを説く識者のもとに押しかけながら、来る日も来る日も貪欲にCS を探求していった。
だが、本を読めば読むほど、講演を聴けば聴くほど、田村氏のなかではCSへの疑念が膨らんでいった。