My Opinion ―① CS の取り組みは 本来ユニークで戦略的なもの
かつて盛んに取り組まれてきたCS 活動。「なかなか目に見えた効果があがらないから」というのが大方の理由だ。
なぜ、CS は効果があがらなかったのか――これについて、岡本氏は「CS に対する考え方や取り組みに大きな誤解があったからだ」と語る。
同氏に、これまでのCS 活動を振り返ってもらいながら、CS に関する新たな取り組みをスタートさせるヒントを語っていただいた。
今「お客様第一主義」のもとCS 経営と人づくりの原点回帰が始まる。
経営・戦略不在で進められてきたCS の取り組み
日本の企業にCS の考え方が広まって、長い時間が流れた。1990年代、盛んに取り組まれ、語られてきたCS のかつての勢いは、あまり見られなくなっている。これはあえてCS という言葉を用いなくとも、組織の隅々にまで定着したということもあろうし、一方では、一過性のブームのように通り過ぎてしまったという側面もあるような気がする。前者のような企業もあれば、後者もあるというのが現状だろう。
このうち、後者の企業でCS の名を冠して取り組まれたさまざまな活動が一段落してしまった背景には、「それほど大きな成果があげられなかった」ということが、最も大きな要因である。それはなぜかを考えてみることが、これからのCS に向けた新たな展望につながるのではないか。
言うまでもなく、組織にはいくつかのディメンジョン(次元)がある。
たとえば、まず企業そのものの方向性を示す「規範」があり、その規範のもとに「戦略」がつくられ、その戦術として、「管理」「業務」「作業」という階層的な構造を持っている。
このディメンジョンからいうと、これまでのCS は、QCと同じように、もっぱら「業務」「作業」のレベルで取り組まれてきた。
今、私が問題として提起したい第1点目は、まさにこのことで、たとえば業務レベル、作業レベルで「接客」上の質の向上を図るようなことは、CSの本来の趣旨とは違うのではないかということである。
1990年代、多くの企業が不調だった時、現場が不活性化したというよりはむしろ、経営や戦略がないこと、あるいは不適応を起こしていることが問題の核心であるといった指摘がなされてきた。
CSの場合にも同じことが言える。つまり、経営レベル、戦略レベルでCSを考えるということがなされずに、今日に至ってしまったということだ。そういう企業が多いように思われる。
ちなみに、ここで問題にしているのは、トップマネジメントの専管事項としての「経営」や「戦略」ではない。もちろん、トップマネジメントの経営・戦略立案・決定の質も含まれるが、組織の中のあらゆる階層の人々は、「経営」や「戦略」と関わりを持ち、なにがしかの役割を担っている。そうした意味で、全従業員が「経営」「戦略」のレベルでCS を考えてこなかったのではないか、あるいはそういう風土をつくってこなかったのではないかということである。
ツールに頼りすぎてきたCS の取り組み
問題提起の2点目は、CSのアプローチの入り口で、既存の手法やコンテンツにあまりにも頼りすぎてしまっていないかということである。
これは、CSが着目されてきた経緯を考えると無理もないところもある。CSがささやかれ始めたのは1980年代のアメリカだが、顧客満足度の調査手法と一体になって、広まっていた。アメリカでは、米政府機関American Society for Quality(ASQ)が産業別に顧客満足度の指数American Customer Satisfaction Index(ACSI)を定めており、産業界で広く活用されている。
日本にも、こうした手法とともにCSという考え方が導入されたわけだが、CSの取り組みとして多くの人々が思い浮かべるのは、顧客満足度調査を行い、ベンチマーク可能な指標を見出し、そこから問題点や課題点を分析し、その対応を行うというスタイルではないだろうか。
その課題解決のツールとして、コーチングやファシリテーション、バランススコアカードなど、さまざまな手段・ツールがあり、コンサルティングファームなどがこれらをパッケージ化して提供し、こうしたソリューションを活用してCS の取り組みを実施してきたという企業が多くを占めるのではないかと思う。
しかし、このように手法から入るというやり方は、じつはさまざまな弊害を生じさせやすい。なぜなら、手法から入ると、CSの本質を考えることなしに、ツールに合わせようとする傾向が強まるからだ。
たとえば、ファシリテーションの最大のねらいは、「気づき」を喚起し、自分を変えさせることにある。一方で、ファシリテーションのセミナーなどは、さまざまなテクニックを学ぶ場でもある。このテクニックを学べば、テクニカルなスキルがつき、表面的な効果をあげることができたような気になるといったことである。しかし、ファシリテーションの真のねらいは、意見・アイデアの発露、合議や意思決定のプロセスをそれぞれが見直すことだ。