人材教育最前線 プロフェッショナル編 社員自ら学び、発言する文化を創るのが教育担当の使命
トヨタグループの一員として、特色ある生産ラインや、個性あふれる車づくりを展開するセントラル自動車。鮫島勝美氏は総務部人事労務室に配属後、高い人材力を育成、確保するための教育訓練システムを構築してきた。技術はもちろんのこと、社内外におけるコミュニケーションのとり方や、品質・コストへの意識改革など、その領域は多岐にわたっている。しかし、どのような分野であれ、社内教育の本質は“学ぶ文化”を醸成することだと鮫島氏は語る。これまでの取り組みの狙いや具体例を聞いた。
情報システム構築から突然の異動
鮫島がセントラル自動車に入社したのは1986 年。街を走る1台の車がきっかけだった。それはセントラル自動車が1984 年から製造を開始し、トヨタ自動車が販売したMR2。日本ではじめてミッドシップレイアウトを採用した2人乗りのスポーツカーは、鮫島の“トヨタの車は個性がない”との思いを瞬時に打ち砕くほど衝撃的だった。鮫島は、すぐにリクルート雑誌でセントラル自動車について調べ始め、間もなくして入社を決意する。
鮫島は、大学時代に工学部で機械工学を専攻していたが、卒業研究のテーマでパソコンを使ったデータ処理について扱っていたことが、当時の人事の目に留まり、情報システム部門へ配属された。
ここで給与や部品の手配など、生産指示系統以外の社内システム構築や、管理、運用を経験。そこで、10年の歳月を送った後に、人事部門へ異動する。労務管理や労働組合との折衝窓口など、人事部門であれば誰しもが経験するひととおりの仕事を行った後に、現職である教育担当となった。
折りしも世間は、構造改革やリストラの話題が飛び交っていて、どの会社においても教育については縮小していた。セントラル自動車もご多分に漏れず、社内のスリム化を目指す構造改革が進行していた。解雇という手段こそとらなかったものの、人事について抜本的な見直しが行われており、社内教育に費やす予算や時間を削減していたのである。
突然の異動ながら、鮫島にとって救いだったのは、彼の着任時期には、社内教育の重要性を再認識し、その再構築を求める声が社内で上がってきはじめていたことだ。鮫島は、まさに新しい社内教育システムを構築する任務を受けた形になったのである。
教育体系の再構築は社員に“本気”をアピール
セントラル自動車では、その2000年前後の構造改革時に、社内教育訓練におけるカリキュラムを大幅に削っていた。残されていたものは、品質に関する科目や安全管理科目など、自動車メーカーとして本当に最低限のものだけだった。
また、かつて社内教育訓練は階層別に設けられており、該当する階層の科目を修了していないと、昇進できないシステムをとっていた。しかし、現場サイドの管理職から、「研修を受けさせるだけの時間的ゆとりがない」との訴えが続出。いつの間にか、その教育訓練と昇進の結びつきが形骸化してしまっていたのである。
鮫島は、この教育訓練カリキュラムの再構築から着手した。品質、安全など最低限に削られていた教育テーマのバリエーションに、量やコスト、納期といった項目を追加し、さらなる細分化を図る。そして、階層ごとに修了すべき科目を割り当て、体系図を作ったのである(図表参照)。この横軸と縦軸から、自分が受けるべき科目が一目瞭然となる。また、それ以外の技術技能や、一般教育科目についても、矢継ぎ早に体系図に組み込んだ。
教育訓練体系が充実すれば、形骸化していた教育訓練の受講と、昇進の結びつきも説得力を増す。そして時を移さず、このリンクを復活させたのだ。もちろん、多忙な社員に対応するために、週末を使った科目の開講などの工夫も凝らしている。