経営・人事・組織の30 年を振り返る 経営的視点を持ち 学び続ける人事・人材開発であれ
特集の最初に、日本企業の人事・人材開発の
約30 年の旅路を概観したい。
長年にわたり、この分野のコンサルティングを続けてきた海瀬章氏が
これまでの時代を1990 年代・2000 年代・2010 年代に区切り、
「経営・経済」「人事」「育成・教育研修」「組織活性化」
の4つの動向を解説。
そのうえで、未来への羅針盤となる提言を行う。
成果主義中心に移行
1990 年代を人事施策の面で一言で概観すると、職能資格制度から成果主義による資格等級制度へと移行し、後半から調整に入ったといえる。
【経営・経済動向】
組織のスリム化・フラット化
前半にバブルが崩壊し、経済が低迷した1990年代は、組織のスリム化が図られた時代である。多くの企業で人員削減や事業の再構築が行われ、係や課を廃止して部制にするフラット化が進められた。
90年代後半からは生産拠点を海外に移す企業が増え、国内産業の空洞化現象が起こり始める。
【人事施策の動向】
成果主義を軌道に乗せる動き
こうした経済動向を踏まえた90 年代の人事施策の動向は、「成果主義人事への切り替えが行われた」ことに尽きる。
日本(企業)はそれまで、個人主義よりも集団・組織主義の考え方が強く、組織全体で一丸となって目標を達成しようとする傾向があった。よって、1965年~ 90年代頃までは職務遂行能力を分類して、等級別に分ける形で能力主義による職能資格制度を運用し、うまくいっていた。
しかし職能資格制度は能力の評価が難しく能力要件が曖昧になり、かつ社員に対するインセンティブ強化のために等級数を増加させたことで年功序列的な運用になっていき、十分に機能しなくなっていった。さらに経済・景気状況の悪化も、職能資格制度の運用を困難にした。そのため、職務を中心としたアメリカ的な制度へと、多くの企業が人事制度を変更していったのである。
この切り替えに伴い、処遇や賃金の面でも、管理職以上を中心に成果給や業績給を増やし、年齢給のウエートを下げるという形で調整が行われた。年俸制を導入する企業が多く出たことも、大きな変化である。
成果主義を軌道に乗せるマネジメント手法としては、目標による管理が復活し、制度化されたことも時代の特徴といえる※。
※目標管理は1940 年代に一度導入されたものの、戦後復興期で景気が上り調子だったために制度化はされなかった。
成果主義への移行と共に90年代に導入が進み、修正されながら8 割以上の企業で今日まで続いている。
【育成・教育研修施策の動向】
目標管理制度運用に向けた研修へ
育成・教育面では、成果主義をうまく運用するための研修が実施された。主なものは、目標設定の方法や評価の仕方等を教える目標管理研修と、評価者向けの面接・評価フィードバック研修である。
他方、景気の低迷によるコスト削減の動きは、教育投資の配分にも影響を及ぼした。全体の底上げ研修から選抜型研修に移行した。具体的には、会社の基幹人材を育成するための選抜型ビジネスリーダー研修に投資が集中されるようになった。
同時に、グローバル化に対応するため、国際要員の育成も盛んに行われた。英語教育、異文化を学ばせる研修や海外派遣研修といったものである。
1990 年代後半からは個人の主体性を高めるコーチング研修やキャリア研修も始まり、2000 年代に花開く。
【組織・現場力の変化】
組織主義から個人主義へ
リストラや組織のフラット化は、それまで協働意識やまとまりのあった日本企業の職場を大きく変えた。フラット化によって課長や係長などの役割が薄まり、マネジメントの責任が曖昧になったために、組織の機能が弱まった。また、目標管理制度により、業務遂行に対する個人志向が強まり、「自分の目標を達成できればそれでいい」という考え方が蔓延。メンバー間の交流や協働が減少し、組織がバラバラになった時代でもあった。組織活性化の役割を内包していた小集団活動や改善活動が行われなくなり、職場の活力も低調であった。
成果主義の再整備に取り組む
さまざまな弊害をはらんだ成果主義だが、それは成果業績志向のアメリカ式をそのまま導入したからに他ならない。ゆえに2000 年代は、成果主義の日本的な再整備が進められた。