J.H.倶楽部

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Learning Design 2020年11月刊

気づきのトピックス 講演録 組織のトライアル&エラーを支える HRリーダーとは ~旭化成のチャレンジの軌跡とともに~

「激変する経営環境に対応するには、戦略実現のための将来の人と組織の在り方を構想できる経営視点をもったHRリーダーが必要である」―こんなコンセプトで、2019年から20年にかけて、都内某所で全5回の会合「HRリーダー・コロッセオ」が行われた。
講師には、経営者や人事畑を経験した役員など、錚々たる面々がそろい、経営と人事の関係や真髄を伝えた。
今回は最終会合より、旭化成で、海外でのビジネス経験と、20年以上の人事経験を持つ人事担当役員、橋爪宗一郎氏による講義内容を紹介する。

第4 会合
担当講師
旭化成 常務執行役員 人事担当
健康経営担当補佐
橋爪 宗一郎氏

[取材・文]=田中 健一朗

計20年にわたり人事を担当

本日は、私の経験を踏まえ、人事の仕事に関する私の考えをお話しできればと思います。

まず私が在籍している旭化成は、化学肥料や再生繊維からスタートし、合成繊維、石油化学、建材、住宅など新しい分野にチャレンジしていくことで業績を伸ばしてきました。多様な事業や技術があり、多様な人材がいる会社です。

私自身は1981年に入社し、東京の人事労務部に配属になりました。以降、計20年以上、人事を担当しました。人事の仕事は好きでしたが、海外でビジネスをしてみたいと思っていたので、留学制度に応募して、2003年から約1年間、イギリスのビジネススクールで勉強しました。

帰国してケミカル部門に配属になり、2004年に「MMA(メチルメタクリレート)事業部」、2006年に「モノマー第一事業部」に所属しました。石油化学は原油を蒸留分離したものを分解して原料をつくり、化学反応させて様々な製品をつくります。液体のモノマーは、いろいろな化学物質の原料になります。私が担当したのは樹脂原料等となるAN(アクリロニトリル)とMMAの事業開発です。原料を持つ企業へ旭化成の技術を持ち込み、合弁会社をつくろうと売り込む役割でした。2004~2008年の間は、毎年100日以上、世界各国へ出張しました。2008年に1つのプロジェクトがまとまり、タイで合弁会社をつくり、日本側の責任者として赴任しました。そのまま2013年までタイにおり、帰国後、人事部長を経て人事担当役員になりました。

タイのプロジェクト① 合弁会社で250人の責任者に

タイでのプロジェクトについて、少しお話しします。タイ最大のエネルギー企業PTT と日本の商社と組んだ合弁会社「PTT 旭ケミカル」(PTTAC)を立ち上げました。私は社長としてバンコクに駐在し、約250人の社員を抱えました。2008年から準備を開始し、2013年初めに商業運転を始めました。

合弁の最大のポイントは、世界初のプロパン法AN の商業生産設備である点です。AN はアクリル繊維やABS 樹脂の原料になります。通常はナフサを接触分解したプロピレンでつくるものをプロパンガスでつくろうと考えたのです。旭化成ではその技術開発を20~30年続けてきて、タイで世界初の商業生産設備をつくることになりました。

このプロジェクトは資金の半分を旭化成とPTT、残りの半分を、日系を中心とした9行に融資してもらいました。私は早めにタイへ赴任し、翌年2月には起工式を行いました。ここまではとても順調でした。

タイのプロジェクト② 低品質でトラブル続き

ところが翌年、工業団地全体のプロジェクトを対象とした周辺住民や環境NGOによる環境訴訟、また、工事の遅れや不良など、プロジェクト後半は多くのトラブルに見舞われました。プロジェクトはかなりの期間遅れました。その間、売上が入らないだけでなく、人件費も建設費用もかかる。しばらくは資金は出ていくけれど収入がまったくないという状態で、結局、プロジェクトコストも膨れ上がりました。出資元の親会社や融資元の銀行へ苦しい説明に赴く。そういう状況が長く続きました。

遅れの大きな原因は、建設会社の工事不良です。工事品質に問題がありました。試運転を開始してもトラブル続きです。液漏れや停電など、不具合が頻繁に起こりました。これは習慣が異なることも原因でした。

たとえば、雨水が侵入して配電盤がショートする。日本でしたら防水仕様にしてくれとわざわざ指定せずとも、当たり前に防水仕様にします。しかし、タイでは設計図に記載しない限りしません。

さらに、建設工事従事者の質も異なります。周辺諸国からの出稼ぎに来ている方々が多く、数%ですがアルコールのテストに引っかかる人が出たり。既に述べた環境訴訟は、事前の健康アセスメントは法律で義務付けられていなかったにもかかわらず、裁判所が受け入れ、裁判となりました。他にも洪水や政治的混乱もあり、非常に大変でした。

世界2位のサプライヤーに。発展を支えた組織文化

私が帰国する直前の2012年にAN事業は50周年を迎え、2013年3月の式典では50年を振り返りました。旭化成では1962年に川崎で生産し始め、毛布やセーターの原料になるアクリル繊維の内製原料としてつくり始めたのがきっかけです。

その後、韓国企業を買収したりして、キャパシティを上げたりと、体制を整えていき、2012年ごろには世界第2位のサプライヤーに成長しました。1962年に最初のAN のプラントが川崎で完成し、PTTACが2012年末。この間、挑戦的な目標設定をして、50年かけてグローバルにナンバー1を狙える位置まで成長したのです。

その時々の事業リーダーがいろいろな意思決定をして、それをみんなでやり抜き、それを50年間繰り返してきた。換言すれば、時代のニーズに応え、多様な事業で社会に価値提供してきたわけですが、旭化成グループ全体の歴史を振り返れば、私が担当していたようなプロジェクトが100、200と積み重なって、現在の発展があるのだと、ひしひしと感じます。

プロジェクトの狙いは間違っていなかったと思います。難産でしたが、終わってみると「海外で苦労した人間が人事部長をやったらよい」と言われ、人事部長になりました。失敗は許されませんが、「もう一度チャレンジしてみろ」と言ってくれる文化が旭化成にはあったのです。

一方で、同じように様々なプロジェクトの中、トライアル&エラーを重ねながら当社は発展してきたのだと気づきました。その背景には、「チャレンジを通じて、初めて人は成長する」という考えが暗黙の合意としてある。そういう組織文化があり続けているからだと思っています。

帰国して人事部長になり、人事部門の役割を考えました。タイでの経験を通じて、すべては人だと。従業員が4万人いると意識しづらいのですが、タイで250人の組織を一から採用し、教育したことで、人がいないと事業が成り立たないことを明確に認識しました。

挑戦、トライアル&エラーを許容する、自由闊達な組織文化、人と組織の成長を大切にする企業文化を人事部門が守り、育むこと。そのためには、旭化成の中で人と組織が育つような制度・仕組みをつくるのが大きな役割の1つだと、人事部長になって考えました。

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