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Learning Design 2019年11月刊

気づきのエンタ ART 日本美術家列伝 〜室町〜江戸時代前期篇 感性に忠実に独自の画風を打ち立てた絵師・雪村

矢島 新(やじま あらた)氏

跡見学園女子大学教授。東京大学大学院博士課程中途退学。渋谷区立松涛美術館学芸員を経て現職。
専門は近世を中心とする日本宗教美術史。
著書に『日本の素朴絵』(ピエ・ブックス)、『マンガでわかる「日本絵画」の見かた』(誠文堂新光社)など。
ゆるカワ日本美術史』(祥伝社)など多数。

雪村はおよそ西暦1500年ごろに生まれ、1580年代まで生きた。生涯の大半は戦国の時代である。今の茨城県あたりを支配していた名門佐竹氏一族の長子として生まれ、武士として戦に明け暮れる生涯を送った可能性もあったのだが、故あって禅僧となり、晩年まで絵を描き続けた。残念ながら今、雪村の知名度はさほど高くないが、日本史の教科書に《戦国時代の文化》といった項目がなく、そのため教科書から名が漏れていることが関係しているだろう。しかし残された絵を見れば、雪村が日本の絵画史のなかでも指折りの絵師であることがわかる。

生誕の地である常陸国部垂(茨城県常陸大宮市)をはじめ、会津、小田原、鎌倉、郡山市を転々とする漂泊の生涯を送ったが、足跡は関東周辺に限られており、京都の禅寺などを訪れることはなかった。関東は当時のおよそ300年前に鎌倉に幕府が開かれた地なので、まったくの文化不毛ではなかったが、都の最新の情報からは、ややタイムラグがあった。

独学でのびのびと個性を開花

当時の狩野派の絵師と並べてみれば、雪村の前半生は狩野派の基礎を築いた元信の後半生に重なり、後半生は狩野派全盛期の永徳の生涯にほぼ重なる。ただ雪村の絵は、中央画壇に覇をとなえた狩野派の最新スタイルとほとんどかかわりがないように見える。京都の狩野派はモノクロームの水墨画とカラフルなやまと絵を融合させる新路線を突き進んでいたが、雪村は独自の道を歩んだ。その絵は実にユニークで、現代の目から見れば逆に先進的にも思える。

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