Part1 女性役員に聞く!② 異動がキャリア開発のきっかけに 立場が変われば見方が変わる 女性は早期に職域拡大を
自らを客観的に見つめ、キャリアを開発してきた山崎氏。
職場が変わるたびにゼロからの挑戦に立ち向かい、
「部下が助けてくれた」「もう恐いものは何もない」と話す。
その境地に至るまでの過程と、後進育成のポイントを聞いた。
①宣伝の責任者から管理職へ 渉外の気づきから職位転換
―ご自身のターニングポイントはいつごろだったと思いますか。
山崎
振り返ると、入社してから7~8年ごとに節目を迎え、そのたびに乗り越えてきたように思います。
最初は20代後半。宣伝の仕事を長く担当し、責任者として各部署の人と折衝をする中で「この仕事を一生やっていくのかな。ずっと宣伝に携わっているけれど、この先がないんじゃないか」とふと感じたのです。
というのも、私はユナイテッドアローズがすごく好きで、普通に顧客としてお店に通っていて、働き始めました。だから洋服の仕事はほぼ趣味の延長。でもそれでは、ビジネスとしてファッションを見ている人たちと、話が通じないのです。
当時はちょうど会社が株式を上場し、ファッションでビジネスをする人が増えてきていました。そうした相手と共通言語を持てるようにならないと、一生分かり合えないのではないか、私が今やるべきことは、相手の世界に行くことじゃないだろうかと。それで、現場を離れて管理職になろうと、ジョブスイッチを考えました。
―慣れ親しんだ世界とは真逆に飛び込む決意をされたのですね。
山崎
はい。ビジネススクールに通い始め、「会社全体を見る仕事がしたい」と方々で話をしていました。当時の壁は“権限委譲”です。宣伝の仕事に長く携わり、自分が仕事を最も熟知し、うまくやれる自信がありましたが、それをメンバーに引き継がなくてはならない。でもメンバーたちは、自分よりはうまくできない。だからいろいろなことが気になって、いつまで経っても管理職に徹することができないでいました。
社外交流で自身の立場を俯瞰
―権限委譲のジレンマを、どう乗り越えたのですか。
山崎
ビジネススクールで同じような思いを抱えた30歳前後の人たちと交流したことが大きかったですね。みんな入社して7~8年、大企業の歯車のような立ち位置で働いていて、今までとは違うステージで仕事をしたいと思い、学びに来ていました。
そうした皆と接する中で、私がこだわっていた宣伝の仕事は、会社全体から見れば限られた部分に過ぎないんだと身を引いて考えられたのです。また管理職に就いたことで新しい目標ができ、実務へのこだわりがなくなったことも助けになりました。