連載 ベンチャー列伝 第23回 若手に“考え方”を伝承し自ら考える組織体をつくる
ビー・ワイ・オーが運営する店舗では、マニュアル通りのオペレーションは極力排除される。スタッフの自主性を重視し、キャリア形成の視点から示唆を与える「中野塾」や、全員参加のメニュー開発など、飲食業界において独自性のある人材育成の試みを実践している。
和風創作料理を生んだヨーロッパでの修行経験
ビー・ワイ・オーは、和風モダンをコンセプトとした「手作り料理とお酒 えん」などの飲食店展開で知られる企業である。近年は商業施設内に飲食店がテナントとして並ぶ「レストラン・コンプレックス」への出店や、惣菜の販売などを積極的に推進している。この躍進の根底には、現場発の地道な人づくりへの取り組みがあった。その重責を担うのが、常務取締役・中野耕治氏だ。「私が料理人としてのキャリアをスタートしたのは19歳の時。1985年から2年半ほどドイツに渡り、日本食レストランに勤務していました。料理人としてヨーロッパ各国の料理を覚えただけでなく、美意識や創造性について学ぶ点が多々ありました」(中野氏、以下同)
帰国後、料理人として活躍を広げていた中野氏は、知人の紹介で「えん」を始めたばかりの、ビー・ワイ・オー楊文慶社長と出会う。ちょうど、ヨーロッパで学んだ経験から、従来の和食とは違った創作メニューづくりの面白味を実感していた頃だった。
一方、楊文慶氏は、“和風モダン”をコンセプトに、これまでにない店舗空間のデザインやメニュー構成による、新しい飲食店づくりをめざしていた。2人は意気投合し、楊氏が考える「えん」に中野氏の作る「創作料理」が合わさったことで、ビー・ワイ・オーの和風モダンが形成されたのだ。
ちょうどバブルが崩壊し、外食産業には陰りが見え始めていた頃である。高級割烹にはなかなか行けないが、駅前の飲み屋ではちょっと物足りない……といった人々に対し、「えん」の提供するメニューと空間は、1990年代、多くの支持を集めていった。
新しい組織に必要な新しい「料理人像」
ビー・ワイ・オーに入社し、新メニュー作りと同時に中野氏が手掛けたことは、“新しさ”を動かす人材づくりだった。たとえば料理人。他にない創作的な料理を作るためにも、新しい「料理人像」が必要だと考えた。ところが、料理の世界には昔ながらの職人気質が根強く、“きちんと修行を積んだ料理人以外には魚は触らせない”といった気風があった。しかし、新しい1つの組織をつくり上げていくには、熟達度合いも、社員もアルバイトも関係ない。1人ひとりが目標を立て、それに向かってチャレンジすることが重要なのである。
「雇用形態を問わず、意欲がある人にやらせてみることが大切なんだと思います。もちろん料理人には基礎が大切ですから、仕込みからスタートする。それで手際が良ければ、刺し場(刺身をつくる場)の横にあるサラダ場を任せ、料理人の包丁さばきを見て勉強させる。このようにすれば、本人が興味を持つようになるでしょう。実際、私が料理人になったきっかけは、親方や先輩の仕事ぶりを見て、こんなふうに包丁を使えたらいいな、魚をおろせるのはカッコいいな、と思ったことでした」
さらに「えん」には、サービスのあり方や空間の演出などにも独自性がある。たとえば顧客とコミュニケーションをとりやすくするため、店舗は基本的にオープンキッチンを中心としたつくりになっている。料理も、徹底的に手作りにこだわった。
こうした新しい店舗を回していくには、スタッフ全員がこの新店舗に関心を持ち、発想を生み出していかなくてはならない。だからこそ、アルバイト・社員を問わず、意欲と能力がある人には創意工夫を促し、どんどん機会を提供する。働く環境を整えることによって、働く人の興味のあり方が大きく変わる。挑戦できる風土が広く醸成できれば、自ずと人は成長する、という考えに基づく人材づくりが、同社の成長エンジンとなった。