Part3 識者は振り返る① 花田光世 ― 今の時代に対応する仕組みづくりを
人事機能・サービスは社会の変化などに対応し、どのようにその活動を多様化してきたのか。人事制度や仕組みは、時代時代で、人事の諸先輩が時代の動きを先取りして人事制度を構築し、運用の工夫を行ってきた。ここではこの10年といわず、戦後からの人事の諸先輩の努力を継承し、これからますます不透明の時代、どのような問題意識の下に人事の仕組みを構築すべきかを論じる。
はじめに
『人材教育』2010年2月号で私は、HRDJapan2010のプログラムを概観しながら、日本企業の凋落が現実化してきた中、手遅れになる前に徹底的な人事の仕組みの再構築が必要との基本認識を示した。その基本認識とは以下の3つである。
我々は①サムソンや中国企業といった、新たなライバルのアグレッシブな経営と活動に直面し、それに対応していくエネルギーや気概を失っているように思えてならないということ。また②オランダ、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧を中心とした各国のワーク・ライフ・バランス(WLB)やワークシェアリングの活動をベンチマークはするものの、「仕事と生活の調和」という国主導の指針に対し、どのように組織として対応し、個人の生活に活かしていくかという基本スタンスを確立しているとはいえないこと。また③米国企業に顕著に見られる、資本の論理を徹底化するグローバルスタンダードの展開に直面し、後追い的な対応に終始し、主体的にこの変化を捉え対応する活動を展開せず今に至っていること、である。
これらの問題は、単なる個別の問題というよりも、人事制度全体に関わるパラダイム変化に関係している。これから先、日本企業が生き残るためには、私たちの生き方の確立と組織的な変革と仕組みの構築が不可欠であり、時間的猶予はもはやない。にもかかわらず、我々人事パースンは、明確なビジョンと方針を確立できず、行動に踏み込めないで躊躇しているのが現状ではないだろうか。
この議論の中で強調したい点が1つある。それは、上に述べた3つの問題には、ただ他国・他企業の方策をベンチマークするのではなく、日本の組織の事情・実態にかなう方策をどう採用するかを検討することが重要だということである。
サムスンや中国の新興企業の特徴には、「徹底的な仕事の達成志向とそれをやりとげる意欲の強さ」を挙げることができる。この達成志向と意欲を涵養するため、たとえばサムスンは、報酬や昇進で徹底的な成果主義を展開し、成功者にポストと報酬で報いてきた。一説ではサムスングループ全体で1億円プレイヤーが300名いるという。これは外的報酬によるモチベーション管理を人事の中核に据えた、徹底的な成果主義の仕組みの採用であるが、その方策を現状の日本企業が採用することは難しい。しかし、問題は彼らに倣ったモチベーション管理ではなく、日本企業で可能な方策の徹底化であろう。達成志向と仕事に対する意欲の涵養を我々のやり方で可能にしなければ、日本企業の明日はない。WLBにしてもグローバルスタンダードにしても同様である。次項以降、この徹底すべき方策を、人事の考え方の進化から論じてみよう。
人事のパラダイムと機能はどう変化してきたか
人事のパラダイム・仕組みは時代とともに変化してきた。私は今までの日本企業の人事の変化は「組織からのコントロール」と「個人への配慮」という、集中と分散、2つの対立する命題が、交互に人事パラダイムの中核に登場してきているという基本認識を持っている。そして、長いトレンドの中では、組織のコントロールという側面から、徐々に個人への配慮という、個を主体とした視点の重視にシフトしてきているという認識も併せ持っている。この推移を人事用語でまとめると、①労務管理、②人事管理、③人的資源管理、④人的資源開発、⑤人的資産管理、⑥人的資産開発となる。そして、新しいパラダイムが登場すると、先行していたパラダイムは活動内容を工夫しながら変化させ、新たなサービスを構築し、結果として人事制度のオプションが増え、選択肢が広がってきたと考える。次ページの図表1はこの変化をまとめたものだが、以下、各パラダイムを追っていく。
①労務管理と職務中心主義
日本企業が戦後採用した人事・教育の仕組みは、いわゆる職務中心主義に強く影響を受けていた。というのも、戦後の混乱期、企業にとっての喫緊の課題は、敗戦で失った生産ラインや現場を再構築し、生産を軌道に乗せることであった。企業としては、長期的な視点というよりも、日常業務を確実に円滑に機能させ、そのために必要な現場スキルの獲得と発揮をベースにおいた、生産活動の実践が必要不可欠であった。そのため、進駐軍から提供された各種教育訓練――米国流のTWI(Training WithinIndustry)やMTP(Management Training Program)、QC(Quality Control)などの手法をアグレッシブに学び、さらに工夫、改善を通した訓練の改良を行ってきた。これによって現場における技術・知識・スキルの向上が図られ、実践された。その一連の努力が荒廃した日本の生産現場の再生を促したともいえるが、このような努力によって、米国の職務中心主義の考えが日本企業の隅々にわたって浸透していった。