巻頭インタビュー 私の人材教育論 新しいことへの好奇心が思いやりと創造性を育みビジネスを拓く
1887年に国産第一号のオルガンを完成させたことに始まったヤマハの歴史。
楽器を中心にAV機器や楽曲配信、さらにはゴルフクラブといったスポーツ用品まで、幅広い事業を展開している。
30年のキャリアのうちの半分を欧米で過ごした梅村社長は
「Yamaha」が世界的なブランドになるところを肌で感じてきた。
そんな梅村社長に、世界で仕事をするための基本や、ヤマハの人づくりについて伺った。
海外でも「思いやり」がコミュニケーションの本質
―― 梅村社長はかねてから、コミュニケーション力の重要性について多くの場で発言していらっしゃいます。
梅村
コミュニケーションは、まずお互いに、求めていることを伝え合うことから始まります。そのためには、相手が何を求めているか、「聞く力」がなくてはならない。コミュニケーション力は仕事をするうえでの基本的な能力であり、国内外の、どこで仕事をするにしても求められる能力です。
―― さらに梅村社長は、コミュニケーション力の本質は「思いやり」であるとおっしゃっていますね。
梅村
相手を思いやる気持ちがなければ、相手が何を求めているかを知ることはできないからです。それを私は1980年、29歳で赴任したスウェーデンでの経験で実感しました。
私にとっては初めての海外。英語も堪能ではありませんでしたから、異動を命じられた時は困ったなぁというのが正直な気持ちでした。
体当たりするしかない。もっとも、自分ができることは、営業担当として入社以来行ってきたヤマハの特約店の方々との関係性の中で培ってきたことだけ。果たして北欧の人たちに通じるだろうかと、とても不安でした。しかし、1年も仕事をするうちに、その不安はすっかりなくなりました。商売をする中で、互いの生まれ育ちの背景が異なろうと、人種や目の色が変わろうと、日本でのやり方を変える必要は全くないことに気がついたからです。
コミュニケーションを深め、相手の信頼を得るために必要なことは、誠実であるかどうか、です。外国人であってもそれは同じ。そして、誠実さを伝えるには、誠実にコミュニケーションを重ねていくしかないわけです。その時、言葉はコミュニケーションの道具に過ぎず、思いやりが本質であること、これは世界のどこであっても変わらないのだと、だんだんと確信していきました。
―― 2010年3月期のヤマハの売上高の約半分が海外市場におけるもの。梅村社長がスウェーデンに赴任した1980年は、御社が積極的に海外展開を推し進めていた頃ですか?
梅村
ええ。楽器については、日本国内の売り上げのピークは1981年。それ以降、世帯普及率は非常に高くなって、欲しい人にはほぼ行き渡ってしまいました。つまりヤマハが楽器の事業でその後拡大できたのは、すべて海外の販売。1980年代は主に欧米市場が拡大していた時期ですね。
スウェーデンに行って驚いたのは、ヤマハブランドに対する信頼が非常に高いことでした。オートバイのヤマハ発動機の影響もあってか、北欧のいわばヨーロッパの田舎でもほとんどの人がヤマハを知っている。オートバイとピアノ、両方がヤマハブランドを広めていく役割を果たしていました。
ピアノについては、コストパフォーマンスの高さが評価されていました。音楽を身近に楽しむのであればヤマハのピアノがいい、といった感じでしょうか。ですから、仕事は楽しかった。
―― 販路が拡大していく中で、現地の方々とのコミュニケーションを充実させていかれたわけですが、その本質である思いやりは、どういった形で発揮されるとお考えですか?
梅村
思いやりの糸口は、相手に対する好奇心だと思います。相手を知りたいという思いです。スウェーデン時代はまさに好奇心の塊でしたね。
スウェーデンには素朴でフレンドリーな人たちが多く、とても好感を持ちました。国民性も、ヨーロッパの小国だからなのか、全体の中でどうやって自分たちの役割を果たしていけばいいのかといった意識を持っている人が多い。自分をことさら主張するのではなく、皆の意見を聞くといった感じを受けました。
スウェーデンには5年、行っていたのですが、この間、家族を連れて休暇のたびにヨーロッパを旅行したのも楽しかったですね。仕事以外でも、多くの人と芸術に触れることができました。
―― そうした体験がまた好奇心を広げ、コミュニケーションの幅も広がっていく。#REF!梅村
相手のことを聞くためには、こちらからも発信しなければなりません。話題を提供するにも、議論を深化させるにも、新しいことを知ることは重要です。これも、好奇心の重要性という意味で私が大切にしていることです。