論壇 人材育成の“NIPPONモデル”を考える
厳しい状況に置かれる日本企業。GDPや国際競争力の落ち込みなどを目にし、希望を失うビジネスパーソンも多い。だが、歴史を鑑みれば、日本は何度も困難な状況を乗り越えてきたことがわかる。その原動力は日本人の文化や性質にある。本稿では日本人の特質を踏まえたうえで、現代に適した人材育成法を提言する。
数字で見る現在の日本の状況
現在の日本は元気を失っているといわれる。ここ何年も不景気が続き、給与は減り続け、2009年の民間企業におけるサラリーマンの平均年収は406万円まで下がり、前年で率にして5.5%減、金額にして24万円減とこれまで最大の下げ幅となった。
日本の人口は2008年から減少に転じ、労働人口は減少し続け、高齢化は進む一方である。国の借金は膨大で、将来の年金に関して全く楽観できそうにない。
この日本全体の不振、低迷の始まりは、ご存知の通り1990年前後、いわゆるバブル経済の崩壊前後にあったといえる。1990年には世界全体の14.3%を占めていた日本のGDPも、2008年には8.9%にまで落ち込んだ。2000年には世界第3位であった1人当たりGDPも2008年には23位まで後退。1990年では世界第1位といわれた日本の国際競争力(IMD国際競争力)は、2010年では世界27位と、隣の韓国の23位ばかりでなく、タイの26位よりも下にランク付けされているのである。
そして1968年以来42年間続けてきたGDP世界第2位の座を2010年にも中国に明け渡すことが予想され、世界における日本の経済競争力の低下が一層顕著になってきた。
その中でビジネスマンも経営者も、国民全体が、この閉塞的な環境に自信を失っているように見受けられる。
日本経済低迷の一因として、世界経済のグローバル化が挙げられるだろう。グローバル化によって国家間、地域間の政治的、地理的、経済的な障壁、技術、情報、物流などの障害が無くなっていくと、世界中のものの値段と人件費が同一の値段に収斂していく。ものの価格に差があれば、当然、安いところで買って、高いところで売ろうとする。それによって価格差が無くなっていく。もちろん、人件費も同様で、同じものがつくれる安い人件費のところがあれば、そこに工場をつくって生産をしようとする。このような経済のグローバル化のプロセスの一環として、国内のものの値段が下がり、人件費が下がり続けている。
人件費が下がるのを食い止め、高い競争力を維持するには、よそに比べ高い付加価値の商品、サービスを提供するために技術力、情報力などの差を付け続けることが必要になる。
バブル経済崩壊後の人事制度の変遷
この間の企業の取り組みを人事制度の面から見てみると、1990年までは、「実力主義」「能力主義」「職能資格制度」「人事考課(総合評価)」の導入が企業の潮流であった。狙いは、1980年代に顕在化してきたポスト不足の問題に対処すること。この時期、組織の人員構成のピラミッド型が壊れ、年齢、勤続年数が上の社員がポスト数を大きく上回り始めた。
そこで年功的な処遇を進めるために資格とポストを分離することが、企業の人事上の最重要テーマとなっていた。実力主義、能力主義とは謳いながら、その実、終身雇用、年功序列のいわゆる日本型経営を維持するための制度であった。
ところがバブル経済崩壊以降、1990年から様相は一変する。「成果主義」「業績主義」の題目の下、「役割給」「職務給」「年俸制」「業績連動型賞与」が導入され始める。狙いは増大する人件費を抑制する一方で、社員のモチベーションを高め、業績を高めることにあった。加えて、業績回復の必要に迫られた企業の、人員、給与カットの施策の一環として導入されたのである。
人事制度の取り組みから見てもわかるように、この1990年前後のバブル経済の崩壊は、企業がそれまでの日本型経営への固執を捨て、グローバルスタンダードに基づく経営スタイルへと大きく舵取りをした時期だといえる。日本企業は国際競争力を取り戻し、世界に通用する企業への体質強化を図るために、グローバルスタンダードに基づく経営スタイルに取り組んできたのである。そして、その結果、日本経済はかつての勢いを取り戻せたかというと、勢いを取り戻すどころか、回復の気配すら感じられない状況にある。
この原因が、日本型経営を放棄し、グローバルスタンダードを基にした経営を行ったせいだというつもりはない。逆に、このグローバル化への対応がなければ、日本の経済状況は一層悪かったのかもしれない。そうだとすると、もうこの国には明るい将来はないのだろうか。
歴史に見る日本の回復力
現在の日本が置かれている状況は芳しいものではない。しかし、歴史を振り返ると、この国は今回以上の困難な状況に幾度となく直面してきたことがわかる。そしてそのつど、その困難な状況を克服し、常に国家としての高度な秩序、社会システムを回復し、世界的に見ても高い文化レベルを維持し続けてきたといえる。
楽観的、傍観者的に見ると、今回も日本人は自ら持っている力で、これまで同様に回復することが充分に予想される。ただ回復を進めていく当事者としての立場からすれば、この国が幾度となく直面してきた困難を乗り越えられた理由を知り、それを一層推し進めるように取り組まなければならない。
江戸時代末期、世界は西洋列強国による世界貿易と、アジア、アフリカの領土分割の時代になっていた。それまでの地域ごとの領土の奪い合いから、世界規模での領土分割へと時代は移っていた。西洋列強国の進出はアフリカ、インドから東南アジアへと及び、残された東アジアに向けられた。
それに対し日本は明治維新、そして近代化への道を突き進むことで、西洋列強国からの支配を逃れることになる。そればかりか、その38年後の1905年、日本は当時世界最強といわれた国の1つ、ロシアを日露戦争で打ち負かすのである。このニュースは世界中を驚きとともに強烈なインパクトを持って駆け巡った。白人統治の世界に甘んじなければならなかったアジア、アフリカ諸国の人々に、民族の誇りと自尊心と独立心を奮い立たせる機会になったのだ。