OPINION 2 ちょっとした工夫で職場は変わる “ゆとり”と“認め合い”で回り始める「働きがい」の好循環
ゆとりが失われた職場では、プレイングマネジャーが増え、OJTが機能しない。
したがって、若手も成長を阻まれる。
目先の効率性にとらわれず、長い目でゆとりを持って働き、職場でそれを認め合うことが、結局は働きがいや成長につながる──と宮原淳二氏は言う。
あの手この手で「働きがい改革」を進める事例を紹介しよう。
「働きがい」が生まれない職場
私自身は、20 代の後半からキャリアアップを強く意識するようになった。大学卒業後に入社したのは大手化粧品会社で、入社2 ~ 3年目の先輩が2人ほど、教育係についてくれた。先輩と長い時間を過ごすことで、先輩に追いつきたいという気持ちが生まれ、「働きがい」につながっていたと思う。数年後の自分の将来像を重ねられる先輩が、常に身近にいる──。思えば、非常に恵まれた環境だった。
しかし今日、先輩が複数で新人指導するほど余裕のある企業は稀だろう。管理職が使える経費も減り、部下との「飲みニケーション」もやりづらくなった。割り勘では上司の説教など誰も聞きたくないから、オフィス内の人間関係は限定的なものになってしまう。かつてのような濃い関係は築けないのが一般的だ。
また、今時の管理職は忙し過ぎて、物理的にも心理的にも、周囲を見る余裕がない。「部下の仕事をきちんとマネジメントしている実感がない」と、平気で口にする人も珍しくない。部下に権限委譲すれば余裕ができるのに、プレーヤーとして優秀な人ほど頑なに自分自身で仕事を抱え込み、部下がいつまでも育たない、という負のサイクルに陥っているのではなかろうか。
その結果、上司は疲弊し、部下は成長の機会を奪われる。このように悪循環が常態化した職場では、「働きがい」など生まれようがない。得意先に対するリスクマネジメントもおろそかになっているのでは、と思う。
「科学的ゆとり」のすすめ
先日、「渋滞学」で有名な東京大学(先端科学技術研究センター)教授 西成活裕氏から、興味深い考察を伺った。「『渋滞学』から考える科学的カイゼン」というテーマである。「アリは渋滞を起こさない」という発見から、自然界にならって人の行動の無駄やムリをなくしていくというものだ。渋滞もそのひとつだが、仕事の進め方においても、普通の「ゆとり」から「科学的ゆとり」への移行が可能だとしている。
一般的に「ゆとり」と言えば、特に目的を決めずに自由時間を設けることを指す。運がよければプラス効果をもたらすが、そうでなければ無駄になってしまう。これに対して「科学的ゆとり」は、明確な目的のために、あえて“目先のマイナス”を選択する。その代わり将来はプラス効果を得られる可能性が高い(図1)。
具体例を挙げよう。バケツリレー方式で、早く水槽を満タンにするには極力、1回に運ぶ水の量を増やしたいところだが、多過ぎると重くなり、運び手の運搬スピードは遅くなる。一方、バケツの水を減らせばスピードは速くなるが、運ぶ回数が増える。数学を使って調べたところ最も早く水を運べるのは、実はバケツに7割の水を入れた時であることが示された。遠回りのようでも、運び手の負担を3 割減らす方法が一番効率的だということが明らかになったのである(図2)。