人材教育最前線 プロフェッショナル編 仕事の現場が「教育の現場」 OJT、研修、自己研鑚で自分を磨く
日本初の民間シンクタンクとして設立された野村総合研究所に、野村コンピュータシステムが合併し、1988年に新たに誕生した野村総合研究所。世界の金融ITサービス企業の売上上位100社ランキング「FinTech100」では、今年も前年に続き第9位と、日本企業として唯一のトップ10入りを果たした。同社で入社以来長年SEとしてのキャリアを積み、現在、全社の人材育成を担っているのが人材開発センター長も兼務する広瀬一徳氏だ。技術改革が激しいITの現場で、自らを鍛えてきた広瀬氏に人材育成に対する思いを伺った。
チームを強くするための人材を育成する
社会や企業の今後の方向性を洞察し、あるべき姿の実現に向けて提言を行う「ナビゲーション」と、的確な解決策を講じる「ソリューション」の2つを相乗的に機能させ、サービスを提供する野村総合研究所(以下、NRI)。その人材開発センター長兼人材育成戦略部長として、NRIの“未来創発”の実現に向けた「人財」の育成を牽引しているのが、広瀬一徳氏である。広瀬氏が入社したのは、1985年。企業のIT化が進む中でソフトウェア技術者の不足が心配された時代でもある。また、日本IBMが1500人もの新入社員を採用するなど、IT業界の躍進が注目された時期だった。「当時は、企業の基幹業務システムなどに用いられる大型コンピュータ、いわゆるメインフレームが中心でした。この先、ITはどのように発展していくのだろうという素朴な興味から、この業界への就職を決めました」広瀬氏には、未知の分野に挑戦したいという思いがあった。システムエンジニアとしてITの発展の最前線で活躍できる仕事に携わりたい、技術が急激に変化するその様を当事者として経験したい……。そうした“劇的な変化”を実感するために、あえて大企業への入社を望まず、当時社員数700名だった野村コンピュータシステムに入社することになった。入社後、広瀬氏は一貫して流通・小売業界の情報システムの設計から構築、維持管理業務に携わる。そして、IT技術の進化の担い手として活躍した。転機が訪れたのは、2001年。“認定PM(プロジェクトマネジャー)”に任命された時のことだ。NRIは、2000年にプロフェッショナル人材を社内認定する「NRI認定資格制度」をスタートさせた。同制度は、システム系の社員が将来のキャリア形成の指針とするためのものである。1990年代、バブル景気がはじけ、日本経済は低迷していたが、コンサルティングとITは、いわゆる「リストラ」の推進役としてのニーズから、仕事は潤沢だった。NRIは拡大を続け、広瀬氏が入社した15年後の2000年には、社員数3000人を超えるまでに成長していた。「毎年1割ずつ社員が増えていくという感じでした。そうした若い会社でしたから、認定制度ができた背景には模範となる人材を示す必要があったのだと思います」「認定PM」とは、システムソリューション業務に実績があり、高度な実務処理能力を持つ社員に対し、資格認定をするもの。資格要件には、業務上の実績のみならず知識も求められ、その審査は厳しい。広瀬氏が認定された2001年当時、「認定PM」は社内でわずか30名程度。そのため、「認定PM」の資格者は社内でも高い評価を得ることができた。「認定PMになったことで、プロジェクトマネジャーを育成しなければ、と強く意識するようになりました。しかしそれ以上に、チームを強くするための人材を育成する必要性と、自分がその担い手としての役割を果たさなければならないことを自覚するようになったのです。そのせいか、1996年に管理職になった際にも、部下育成に関しては強い責任を感じていました」