変化とともにあるための易経 最終回 東洋思想で実現する 創造性豊かな企業
共に高め合う上司と部下の「学びの循環」
最終回となる本稿では、前回に引き続き「易経と人材教育」について考えていきたい。前回は、易経第一卦の爻辞にある君子の成長になぞらえて社員の育成のあり方を考えてみた。そこでは、まずは確固不抜の意志を持ち、懸命に仕事に打ち込むべきだと述べた。そして、社員を育てるために上司が為すべきことを2つ紹介した。部下に「いい仕事」を与えることと、自らも部下の鑑となるような「いい仕事」をやってみせることである。そうすれば、部下は自然に成長する。それでは、若手社員(小人)は成長のために何を為すべきか。若手にとって、上司は、仕事の能力に優れ、経験豊かな大人といえる。一方、小人は未熟であり、大人から学ぶ段階にある。若手は、上司の仕事ぶりから仕事の仕方、あり方を積極的に学ばなければならないのである。この大人と小人の関係は、よく言われるブラザー・シスター制度のような、社内教育制度によって決められた師弟関係ではない。人間的な結び付きを基盤とし、日々の仕事を通じて互に信頼関係を深めていくものである。私の新入社員時代は、確かにそうだった。職場にいる上司や先輩の仕事ぶりを観ながら、「仕事の基本は、あの人に学べばいい」「困った時は、あの人に相談しよう」などと考えていた。当時の会社員は、型や制度にはまったものでなく、柔軟な発想で仕事を覚えていったのではなかったろうか。そのように働いてきたからか、職場における人材育成に関して、先生役と生徒役をきっぱりと決めなくてもよいと私は考えている。教わりたい者が、自分で先生を選んで教わればいい。結局は仕事を身につけられるかどうかなのだから。誰が先生であろうと、最後は自分の受け止め方にかかってくる。ダメな上司がいたからといって、それを真似ることはない。その上司を反面教師にすればいいだけの話だ。この視点を持てば、社内のあらゆる人が師になる。突き詰めれば、教える側と教わる側の区分けも不要に感じる。私は以前、四、五年ほど、社会人大学院の教壇に立ったことがある。ここの生徒は実社会でキャリアを積んできた人ばかり。時々こちらがハッとさせられる質問を受け、そんな見方もあるのかと教えられたものだった。それは、教える側と教わる側が真摯に向き合って互に学び、互に思考を深め合う場だったといっていいだろう。「教育」とは、まさに「共育」なのだと知らされた(図-1)。一般に、部下の育成は上司の仕事だといわれる。けれども実は、部下との対話や部下の仕事ぶりなどから、上司が無意識のうちに刺激を受け、部下に教わる場面が多々ある。これは喜ばしいことだ。互いに共鳴し、共に高め合う場ができることが、職場の雰囲気にプラスの影響を与えるからである。このことに目を向ければ、上司はもっと謙虚になれるだろう。そして、部下からもっと多くのものを学べるはずだ。そうして上司は、更によい部下を育てる。すなわち上司と部下との「学びの循環」――これが人づくりの理想的な姿ではないか。