OPINION 2 商人哲学の基礎となった石田梅岩の「石門心学」 「正直に」儲けて社会を豊かにするのが商人の使命
江戸時代、商人の存在意義と社会的使命を根底から考え抜き、「先も立ち、我も立つ」「正直に儲ける」を基本とする商人哲学を打ち立てた石田梅岩。
お金の役割や消費の論理など、その現代的思想は今や世界でも注目され、ビジネスパーソンの仕事に確たる根拠と自信を与えている。
石田梅岩と「石門心学」
2010 年、大手エアライン、日本航空が経営破綻した。その後、京セラ創業者の稲盛和夫氏が会長に就任し、見事に再生を果たしたことは、記憶に新しい。
その稲盛氏が最初に日本航空に乗り込んで驚いたのは、利益を上げることに対する社員の無関心さと罪悪感だった。「航空会社で大切なのは乗客の安全であって、利益を上げることではない」。そう声高に論じる経営幹部もいたという。
組織が巨大化し、仕事の分業化が進んだ大企業では、いつのまにか社員が単なる組織の構成員と化し、「商売をしている」という根本的な感覚を失いつつある。そのことが、ビジネスへの執着心を希薄にし、会社全体の収益力低下を招いている。
今一度、社員一人ひとりに「利益を上げることの意味や正当性」を理解してもらうための教材として、「石門心学は最適と考える。江戸時代に「商人道」を打ち立てた魂の商人、石田梅岩の思想だ。
梅岩は、五代将軍綱吉の元禄時代から、八代将軍吉宗の享保の時代を生きた。当時の状況は、今の日本と驚くほどよく似ている。
元禄はまさに百花繚乱、バブル経済の時代だ。やがてそのバブルは崩壊。その後、日本は大不況に突入し、徳川吉宗による「享保の改革」が始まる。まさに、バブル経済が破綻して長い不況に苦しんでいる平成日本の姿と重なる。
梅岩は現代に酷似した経済状況をつぶさに体験し、観察、思考、実践したうえで、「商人道」を打ち立てたのだ。
梅岩は元禄時代に入る3年前、1685年に丹波国桑田郡東とう懸げ 村の農家の次男として生まれ、11歳で京都の呉服店に丁稚奉公に出た。ほどなくその店は倒産するが、「奉公に出たら主人を親と思え」という父の教えに従い、倒産後も人足のような仕事をして奉公先の主人を養い続けたという。15歳の時、そのうわさを耳にした父親に連れ戻され、その後しばらくは家を手伝ったが、23歳で、再び京都の大店の呉服商に手代として入り再スタート。年下の者に使われたが、梅岩は彼らを先輩として敬い、不満ひとつ漏らさなかった。
その才覚と人格が認められ番頭にまで出世した。43歳の時、惜しまれながら退職し、45歳で私塾を開く。受講は無料。身分の上下、男女の違いを問わず入塾を許した。その後、1739 年に『都鄙問答』を、60歳で亡くなる直前には『倹約斉家論』を出版し、門弟の指導に当たった。
梅岩の信奉者は商人にとどまらず、武士階級にまで及ぶ。後年、松平定信による寛政の改革に参画した15 名の大名のうち、8 名までが「石門心学」を修業していた。