人材教育最前線 プロフェッショナル編 相手を学び取ろうとすれば、どんな困難も乗り越えられる
日本通運の情報サービスの中核を担う日通情報システム。同社は、デジタル技術でモノ(情報)の収集・整理・移動を軸に据え、2004年に設立した。同社で2008年から管理部部長として人材育成や総務業務などを担っているのが、藤枝直人氏だ。海外勤務の経験が豊富な藤枝氏は、常に相手を知ることで、困難をクリアすることを信条としてきた。藤枝氏が今、力を注ぐのが異なる文化で育ってきた人材を“1つのチーム”にまとめ上げることにある。「毎日が印象深い」と話す藤枝氏に、異文化に接してきたからこそ感じたという人づくりへの思いを伺った。
海外で見つけた進むべき“道”
「学生時代から海外で働きたいという思いは人一倍強かったですね」と話すのは、日通情報システム管理部 部長藤枝直人氏である。
1982 年に日本通運に入社した藤枝氏が、日通情報システムに出向したのは2008年。127名だった従業員数はわずか4年で231名に増加。さらに売上高も10 億円から38 億円へと拡大するほど、好調に推移している。
大躍進を遂げている同社において、藤枝氏が注力しているのが異なる企業文化で育ってきた人材を“1つのチーム”にするということだ。「日本通運のIT 業務を担う当社は、中途採用の社員が多く、さまざまな企業で力をつけてきた社員が力を結集することで成長を続けてきました。異文化で育ってきた人たちを育て上げ、チームとしてまとめていくというのは、海外赴任時代から私自身が肌で感じてきたテーマでもあるんです」
そう語る藤枝氏が日本通運に入社したのは、学生時代の海外旅行で、日本通運の車両が、海外の街中を走る姿を目にしたのがきっかけだった。「もともと海外に行くのも好きでしたので、海外で働ける仕事に就きたいと思っていたのです。そこで、旅行先でたびたび見かけた日本通運のことを調べたところ、海外に積極展開しているではないですか。この会社ならば、希望が叶えられる。そう思い、採用試験を受けました」
見事、志望の日本通運に入社。ところが配属先は希望とは裏腹の福岡。それも国内旅行課だった。「役員面接で海外にバックパッカーで旅していたことを話したところ、『旅行が好きなんだな』と・・・・・・。どこに配属されるかはわからない、といわれていたものの、九州は縁もゆかりもない土地。ある意味では、まるで海外に行ったのと同じぐらいの文化の違いを感じましたね」
国内旅行課では、希望していた海外の仕事はおろか、海外に行くこともできない。“挫折”だったと振り返るが、航空券の配達や、国内添乗業務、セールス活動に従事。めまぐるしい毎日を送る中、藤枝氏は海外で働くという夢を心の奥底で温め続けた。「 当時から、日本通運には、海外研修制度がありました。希望者は試験をパスすれば、海外の拠点で1年間、研修生として実務経験を積むことができるというものです。入社3年目に初めて受験したものの、結果は2次試験で不合格でした」
だが、持ち前の負けず嫌いな性格を発揮し、翌年、合格を果たした。
ようやく海外で仕事ができる。研修先として希望したのが学生時代から大好きだったロンドン。ところが辞令に書かれていた赴任先は、アメリカ。またしても期待通りとはならなかったが、これが、その後に続く、海外生活の幕開けとなった。