金井壽宏の「人勢塾」に学ぶ。試す! 人と組織の元気づくり 第 9 回「コーチを多く育成することを通じての組織変革」
成熟社会。正解のないビジネス現場。社内のコミュニケーション不足――
これらの課題に、即効性のある薬などないことは、誰もが感じているだろう。
この状況に風穴を開ける術は、全くないのだろうか?
その問いに挑むのが、神戸大学で金井壽宏先生が主催する第4期「人勢塾」。
本誌では、「人勢塾」全10回の授業をレポート。
施策1つで問題を解決するのではなく、組織全体へ多様なアプローチをする。
そんな「組織開発」の手法を学び、ぜひ現場で試していただきたい。
研修の導入や社外コンサルタントを招いて、組織開発をする方法があるこれを「外から」だとすると、今回紹介するのは「内から」組織開発した実例だ。ゲストは、キリンで組織風土改革を目的とした『Vブイテン10推進プロジェクト(以下V10)にかかわる早坂めぐみさん早坂さんとの出会いを金井先生はこう語る。「神戸大学MBAでは、いち早くコーチング科目を取り入れていました。そのご縁で、コーチングを効果的に導入している企業の先進的な事例発表会に出たところ、早坂さんの発表が光っていたのです。『組織の一定人数が特定の思考、またはその背景にあるスピリットに詳しくなったら、組織は変わるものだ』と感銘を受けました」
風土改革で「現場を元気に」
ビール業界大手のキリン。1907年創業以来、常に業界トップを走り続け、社員の誰もがその好業績が続くことを疑わなかった。ところが1987年、アサヒビールのメガブランド『スーパードライ』誕生を機に、業績は低迷。2001年、ついに不動だった首位の座をアサヒビールに明け渡すことになり、社内に激震が走る。これが社内改革の契機となり、当時の社長・荒蒔康一郎氏が「新キリン宣言」を発表。2006年には、10 年後に約2倍の売り上げをめざす長期経営ビジョン「KV2015」が策定された。それを達するために組織風土改革が必要と立ち上がったのが「V10」。「V10」の名には、「Visionを描き→Valueの下に思考・行動し→お客様に近い会社となる→Victory」と、常に10年後を見据えてほしいという想いを込めた。「V10」が掲げたゴールは2つ。①一人ひとりが考え行動する組織風土づくり…「やらされ感」をなくし生産性を高める。/②現場の意見が経営に活きる組織風土づくり…経営トップの判断材料である「情報」を持っている現場から意見を吸い上げる。このゴールのため、最初の3年間は「意識改革の時代」、その後は「業務改善の時代」とし、さまざまな取り組みを行った。
課題から見えてきた打ち手
V10発足当時、早坂さんたちは自社の課題を「何のために・なぜ・どうやるかの共通言語がない/隣の人が何をやっているのかわからず、相談もできない/内向き・上向きで部門最適を選んでしまう」と捉えた。これを打破し「外向き・お客様向き」企業を創るべく、「ビジョンの策定と浸透」と、「越権・越境・ヨコ連携」できる風土のために「アナログ・アクティブなヒューマンネットワーク作り」をめざした。2006年からの「意識改革の時代」には、主に3つの取り組みを行った。
〈意識改革の時代~3つの取り組み〉
1. 社員がビジョンを策定する「ダーウィンフォーラム」
2. 会社が抱える課題やビジョンなどを共有するための「媒体活用」
3. ヨコのつながりを生み出す「対話の場づくり」
Live Report
ゲスト講師を招くのは最後となった第9回。経営トップでも専門家でもなく、「現場」で活躍する早坂さんの話に、参加者は共感し、真剣に聞き入った。最後の質疑応答でも活発なやりとりが行われ、非常に熱い半日となった。
PickUp 1講義/風土改革①「意識改革の時代」
3年目も部長も共につくるビジョン
最初に着手したのは、ビジョン策定のための「ダーウィンフォーラム」。「工場、物流、営業、全ての現場に募集をかけました。選抜はないけれど、全3回のセッション参加が必須だったので、人が集まるか心配でしたが、3 年目の若手から部長クラスまで111名も来てくれました」キリン100 年の歴史で、現場を巻き込んだビジョンづくりは初の試み。1回目のセッションでは『キリンらしさ』をディスカッション。2回目は『100 年後もなくてはならない会社になるための未来』を描いた。3回目は、その言葉が絵に描いた餅にならぬよう、「誰よりもお客様の近くに。そして、もっと豊かなひとときを」というビジョンと5つの『行動の原点』を作成。「当たり前を疑ってみないか」「遊び心は元気か」など全て疑問形でつくられたそれは、『迷った時に立ち返る場所』となっている。
映像を効果的に使う
ビジョンや行動の原点を社員へ浸透させるために使われたのが、「映像」。たとえば、V10活動スタート時に活用したビデオは、フル稼働できない工場を見学する社長の姿や、今こそ社員一丸となって立ち上がるという決意を込めた言葉の数々を盛り込んだ4分ほどの作品。ビジョンを浸透させるためのビデオは、ジンとくる音楽にのせて、お酒にまつわる人間模様を描いた3つの短編ストーリー。日々の仕事で生み出したお酒がお客様にどのような幸せや安らぎを提供しているかが見えるもので、営業現場のスタッフがストーリーを考えて作成した。五感に訴える映像は、社員の心にストレートに響いたようだ。
つながりをつくる「各種フォーラム」
早坂さんが「一番力を入れた」というのが「ケネディ」「アポロ」「シーザー」などと名づけたフォーラム。中でも、一番長く継続したのは「コンバット」。2 年をかけて全国40カ所で開催。6割以上の社員が自発的に参加した。終日のプログラムで、「感動のサービス」を考えるワークをしたり、各部門が掲げた中計から、自分の仕事の前後にある工程を理解することで、最終的に自分の仕事がお客様にどのようにつながっているかを理解したりした。「ポイントは、過去の参加者がスタッフに回るなど自主運営したことと、社長と対話できる機会を設けたこと。当時の社長は、在任3 年間で延べ5000人と話しました。『社長の大切な仕事の1つは社員との対話』という姿勢は現社長にも受け継がれています」「意識改革の時代」は、ビジョンや行動の原点を定着させ、困り事ができたら「この人に相談しよう」という関係が生まれることを狙った時期。「目的は果たせた」と早坂さんは語った。
PickUp 2 講義/風土改革②「業務改善の時代」
「ビジョン実現ができる社員」を育てる
「意識改革の時代」を経た2008 年。「社員の間でビジョンの理解と共有はできた。ただ、実務の中でビジョンを実現するとはどういうことかを問われると、まだハッキリしないのではないか」―― そんな課題意識から、組織風土改革の第2フェーズ、「業務改善の時代」が始まった。「ビジョン実現のために自分は何をすべきかを、社員一人ひとりが考え行動する」がゴールだ。そのために取り組んだのが以下の3つ。
〈業務改善の時代~3つの取り組み〉
① 社内コーチ育成
② 質問会議( 課題解決を目的に、問いと回答で進められる会議手法)
③ カイゼンの全社活動
『 人勢塾』受講者には人事担当が多いため、「人事とV10の担当分けはどのようにしたのか?」という質問があがったが、早坂さんはこう答えた。「実際、社内の人事部長からも『研修とどこが違うのか』と質問がありました。V10が意識したのは、『リアルワークとの統合』。実務を効率よくするためのスキルを学ぶ場で、階層別で必須参加の研修ではなく、部門横断。『手を挙げた人に場を与える』、主体的に学びたい人へのツールとして設定しました」
「大人数の社員」と「トップ」を巻き込んだことが、変革のカギに
社内コーチ育成は、仲間の目標達成を支援できる人づくりが狙い。手を挙げたのは、入社2~3年目の若手から、工場長、本部長クラスまで多様な階層の社員たちだった。彼・彼女らへはミッションとして「職場でコーチングを活用すること、質問会議のファシリテーターを担うこと、現場のカイゼン活動推進と場づくりを担うこと」が伝えられた。先に挙げた「業務改善の時代」のゴール3つが連動して実行されたのだ。「コーチ資格を取得する講座を導入することに。社長へは『本社スタッフ数人がやってもダメで、100人くらいの勢いで養成しないと変化は起きない』と提言しました。予算は、社内報をイントラネットに変えるなどして捻出。導入した講座の資格取得条件が、半年以上の学びと試験の他、5人以上のクライアントと3カ月以上セッションをすることだったので、当然、周囲の社員と行うことになりますよね。3 年目の若手が先輩にコーチングすることもあり、これがタテヨコナナメ縦横無尽の組織文化づくりに貢献しました」2009 年から4 年の間に400人のコーチが誕生。延べ2000人以上がコーチングを受け、社員の70%が何かの形でコーチングにかかわった計算になる。ちなみに、社長や役員5名のコーチを担当したのは早坂さんだった。「V10は社長直轄に近い組織。経営層を巻き込むことでスムーズに運びました」。コーチングの導入後にアンケートをとったところ、「フィードバックや次の行動を促すやりとりの質が上がった」「承認されている感覚が高まった」などの好評価が得られた。この他、指示待ちではなく自律的な社員が育った、次世代リーダーの発掘ができた、社内にモデルにしたいと思われる人が増えた、生産性向上、マネジメント力アップ、メンタルヘルス問題の改善ができた……など、多数の効果を感じたと早坂さん。コーチングは、傾聴・質問・承認を基本とし、相手の可能性を引き出して自主的な前進をサポートするコミュニケーションスキル。それを身につけた人が増え、その良さを体感した人が増えることで、変化が生まれたのだ。ちなみにキリンビールは、2009年に再び首位を奪還し、その後も抜きつ抜かれつの好勝負を続けている。
●金井先生のまとめ
特別に「組織開発」といわなくても、組織を良くしていくツールを体系的に組み合わせて使えば組織開発に近いことが起こるのではないかと思います。キリンさんのは、体系的にコーチング人口が増える仕組みをつくり、ある一定数を超えた時に大きなうねりになった、という実例ですよね。このように、他社の成功事例共有をどんどんやってほしいですね。MITのフォン・ヒッペル教授が「インフォーマル・ノウハウ交換」を提唱しました。これは、たとえばエンジニアや科学者が今やっている研究の内容をギリギリラインで漏らし合い、製品化のキモは伏せ、お互いに高め合う、ということを指します。人事や組織開発は技法について秘密の少ない分野だから、ぜひ情報交換をやってほしい。「ライバルが最高の情報源」といいますからね。
Let’s Try!!
「人勢塾」は受講生が会社に戻って、実際に組織開発を実践できるようにするのが目的である。そのため事前課題(課題図書含む)と事後課題が出される。授業では課題をやってみての気づきをシェアすることで、全員の気づきを深めていく。授業を受け、実践し、内省することで、自分のものにし、“自社に合った受け取り方”ができるのである。
第9回 事後課題
一つひとつの会社はどこもユニークで個性があり、ある会社でうまくできたことがそのまま、他の会社でうまくいくとは限らない。それを前提に、早坂さんのキリンビールでの試みが、ご自分が勤務する会社の変革にも役立てることができそうだとしたら、このセッションの話のどこにヒントがあり、それをどのように「わが社」らしく、あるいは「自分の職場」らしく展開できそうか。
参加者はこのように活かしました(第9回授業での振り返りより)
「私自身、コーチングを学んだのが一対一の部下との面談で使うコミュニケーションスキルという位置づけだったので、社内風土改革のために導入したというのが最も印象に残った。コーチングが自律的な風土醸成に有効であること、その際のポイントとして大規模に展開すること、人事の研修としての展開ではなく全社プロジェクトとして社員の自主性を尊重しながら実施することの重要性が理解できた(メーカー)」「理念・ビジョン・行動指針策定を自ら手を挙げた111名でつくりあげたこと。ぜひ弊社でも現場の仲間が自主的に集ってつくりあげて行けるような施策を考えたい。また、『V10プロジェクト』が人事部とは全く別の部署として立ち上がった点が非常に新鮮。人事部として行うと、評価と連動するように捉えられている気がするので、別になればもっとスムーズに個々メンバーの能力を高められる気がする(メーカー)」
次号・第10回の試みは…
「我が社では、組織開発を通じて、人の勢い、組織の力を高める試みを、どこからどのように導入できそうか」
参加者はこんなことに取り組みます今回の参加者(1社につき二人1組)から、「人勢塾」修了後に何をどのように始めていくのかについて宣言してもらう。1組につき、10 分のプレゼンと5分の質疑応答とする。