被災体験から学ぶ 危機時のマネジメント
3月11日、営業力強化のコンサル・研修を手がける北龍 賢氏は、管理職向けの研修講師として訪れていた仙台市郊外で東日本大震災に遭遇。
「情報が遮断され交通網が分断された中、研修参加者らと避難した体験から、危機管理における活きた教訓を得ることができた」と話す北龍氏が、自らの被災体験を振り返りつつ、危機管理、リスクマネジメントについて語った。
3月11日(金)
地震発生
私は3月11日、仙台市郊外の研修施設にいた。3日間にわたる大手LPガス販売会社の代理店の課長や営業所長向け研修の最終日。奇しくも、この日の研修テーマは「危機管理とリスクマネジメント」。ちょうどこの討議と発表が終わった2時46分、大きな揺れが研修室を襲った。
ドドドド……という地鳴りから始まり、突き上げるような激しい揺れが長い間続いた。室内には主催企業の社員、参加者、事務局、総勢22名がいたのだが、動転して外に飛び出す人、机の下にもぐる人、テレビなどの備品を必死に押さえる人など――咄嗟の行動は人によってさまざまだった。研修中はしっかりとした意見を述べていた人が意外に冷静さを失っている場合もあった。
危機において自分や部下がどんな行動を取るのか、その思考と行動パターンを考慮しておくこともリスクマネジメントの1つだ。
大きな地震ではあったものの、研修室には、それほど被害はなかったことと、2日前にも小さな地震があったので、「また同じような地震だな」という思い込みもあり、当初は甚大な災害だという認識は持っていなかった。とはいえ、その後安全確保のため全員が建物から外の広場に退避した。
広場で、その後について話し合ったが、傍観者になる人、主体的にかかわろうとする人、自分勝手に集団から離れてしまう人などさまざまだった。後でわかったことだが、傍観者の中には、自分が所属する支店・営業所が心配なあまり口をつぐんでしまった人もいた。
話し合いをする中で、北海道から来ていた数名が、とりあえず仙台空港まで行ってみることにし、また地元から参加している5名は車で帰宅した。
はっきりと大変な事態になったということがわかったのは、空港へ向かったメンバーが引き返してきた時だ。仙台市内は通行止め、電車はもちろん不通。仙台空港も閉鎖されているということを知り、ようやく事態の深刻さに気づいた。
危機管理においては、「危機の全体像をつかむことが大切」ということがいわれる。理論的にはその通りだが、実際の危機的状況では、情報取得が難しい。むしろ、最少の情報から危機の全体像をざっとでもイメージできるかどうかが問われるということを痛感した。
交通網が機能するまでには時間がかかりそうだと判断した我々は、とりあえず研修所から一番近い参加企業のグループ支店へ移動することになった。その際、リーダーシップを発揮したのは、阪神・淡路大震災の経験があるという研修主催企業のA氏。彼は研修の際も、ファシリテータとしてメンバーから信頼されていた。そして参加者の仲で唯一、支店の営業所に勤務していて、土地勘のあるメンバーがリーダーを支えた。
危機に直面した時、リーダーとしてふさわしいのは、直面した状況について質の高い知識や経験を持っている人だ。そして当面の障害を乗り切らねばならない時は、そのことに詳しい人の力を借りる必要がある。
我々は荷物をまとめ、支店の営業所へ向けて歩き始めた。みんな3泊分の大荷物を抱えて雪のちらつく中、電灯のつかない薄暗い道を黙々と歩いた。途中、道路が陥没した箇所などもあり、改めて被害の甚大さを目のあたりにした。この移動中、はぐれないよう、土地勘のあるメンバーが列の最後尾についてくれた。ただ、土地勘のないメンバーたちは、あとどれだけ歩けば営業所につくのかがわからず不安で一杯になっていた。