「人間として何が正しいか」を 教育と実践で身につける
京セラの創業者、稲盛和夫氏の実体験から
生まれた経営哲学「京セラフィロソフィ」。
「人間として何が正しいか」を判断基準とするこの哲学は、
まさに京セラの経営の原点であり、
全従業員が共有する「判断基準・行動指針」である。
これが同社の現場で生き生きと存在し続けている背景には、
有名な「アメーバ経営」の実践に加えて、体系立てて
定期的に実施されている教育部門の「フィロソフィ教育」がある。
会社は何のために存続するのか
日本を代表する経営者、稲盛和夫氏と思いを同じくする仲間によって創業された京セラ。素材から部品、デバイス、機器、さらにはサービス、ネットワーク事業に至るまで、多岐にわたる事業を展開するグローバル企業である。1959年の設立以来、連続して黒字経営を維持している。
その強さは、全従業員の心をひとつに束ねている経営哲学「京セラフィロソフィ」にある。「人間として何が正しいか」を判断基準として、誰に対しても恥じることのない会社運営、事業経営を行っていくことの重要性を説いたものだ。具体的にはどんな哲学で、どう従業員に浸透させているのか。執行役員教育本部長の高津正紀氏は経営理念から語る。「当社の経営理念は『全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること』です。その成り立ちは社内の歴史的な出来事にありました」(高津氏、以下同)“歴史的な出来事”とは、従業員が将来の待遇を要求する団体交渉を若き稲盛氏に突きつけたことを指す。この時、従業員たちとの話し合いは三日三晩に及んだ。創業3年目のことである。「稲盛は本当に真剣に悩みました。『自分の親にさえ十分な仕送りをしてやれないのに、従業員の生活の面倒まで見なくてはいけないとは。なんという責任を背負い込んでしまったのか』と。改めて考え続け、会社のあり方を、それまでの『稲盛和夫個人の技術を世に問う場』から、ここで働く全従業員の生活やその幸せを実現していくことに会社の存在意義があるのだと180度考え直しました。その結果生まれたのが、この経営理念だったのです」
まず稲盛氏が考えたのは、前半の「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という部分だったそうだ。「“全従業員”には経営トップも含まれます。つまり、会社とは経営者のためにあるのではない。全従業員の物的、精神的な充足のために存在しているのだ、と端的に謳ったわけです。自分たちの幸せを全員で創り出していこうという決意表明ですね」
しかし、人は世の中に貢献したい、という大きな目標があって初めて、仕事への熱いエネルギーが湧いてくる――「人類、社会の進歩発展に貢献すること」という後半の言葉は稲盛氏のそんな思いから生まれたという。経済的成功が社会の大きな関心事だった高度経済成長期当時、それはかなり大胆な発想だった。
だがこの経営理念によって、従業員は京セラを“自分たちの会社”として認識するようになり、誰もが経営者であるかのように、真剣に仕事に取り組むようになったという。
一見当たり前なことがいざという時の判断基準に
経営理念を掲げただけの企業は多いが、京セラは違う。経営理念を仕事の場で実現するには、どのような考え方・姿勢で、どう取り組むべきかをさらに具体的、かつ詳細に示している。それが78の項目からなる「京セラフィロソフィ」だ(図表)。