私の人材教育論 人もシステムも 絆で結ばれた “全体最適”が鍵
1997年に創業されたNTTコムウェアは
もともと、NTTのネットワーク用通信システム、および通話料金計算などの
ビジネス系システムの設計・構築・導入・運営を一貫して行ってきた部門を事業化した企業である。
NTT関連のシステム構築という、大型プロジェクトを動かし制御できる“人財”が求められるが、
人事そして経営企画の経験を持つ杉本迪雄社長は、人もシステムも
「全体最適」がキーワードであると語る。その真意とは。
科学青年が上司の采配で事業全体を見る“人財”へ
――杉本社長は、NTTの前身、電電公社時代からコンピュータシステムの企画・開発の現場にいらっしゃいました。入社は1972年。まだコンピュータの黎明期です。
杉本
電電公社が、次代を見据えて電話の利活用の事業を展開しようとしていた時期でした。電電公社の研究所に就職して、大学院で学んだことをさらに追究したいと考えていたのです。
私は、古文や漢文は眠くなるだけ、というガチガチの理系タイプ。大学も理系に進むことしか考えていなかった。となると、興味のあった選択肢は「電気・電子工学(コンピュータ)」「原子力工学」「宇宙工学」の3つ。科学少年でしたから、電子工学、科学の分野に進みました。――コンピュータは科学、なのですね。
杉本
原子力・宇宙工学は物理・化学です。
そもそも私は、電気や電子に強く惹かれていました。子ども時代、初めて自分が作った鉱石ラジオから音が聞こえた瞬間のときめき。以来、トランジスタラジオを分解したり、テレビの修理に夢中になったり。その延長がコンピュータです。
大学時代も、電磁気学、回路理論といった勉強が全く苦にならなかった。
ですから電電公社では、研究所で仕事をするつもりでした。面談の後に配属が研究所ではなく事業部門と決まった時は、目の前が真っ暗になりましたよ。「なんで研究職の道を閉ざすのだ!」「面接官は、何を考えているのだ!」と。
しかし、赴任前に面談をした上司に挨拶に行った時、「君には、研究所だけで仕事をしてほしくない。いろんな現場を体験して、事業の一翼を担ってもらいたい」という言葉をもらって、いずれは研究所の道も拓けるかもしれないので「やってみようか」と思い直したのです。
そして結局研究職に就くことなく、当時の通産省出向を通じての電子機器・電機行政を皮切りに、技術局でデータ通信のハードウェアを開発し、データ通信本部でそのハードウェアの利活用のためのソフトウェア開発をするといった具合に、情報通信技術(ICT)を活用したシステムの企画・開発を担当してきました。――民営化が1985年ですが、この時、NTTコムウェアの起源となる「中央ソフトウェアセンタ」が発足していますね。
杉本
ええ。その後、これが「通信ソフトウェア本部」となり、社内情報システムを司る「情報システム本部」と合併。NTTソフトウェア本部を経て1997年にNTTから分社独立してNTTコムウェアが生まれました
人事と経営企画は乖離してはならない
――NTTコムウェア設立時には、経営企画部長に就かれていたとお聞きしています。経営戦略を策定するうえで、新しい組織に対してどのような認識をお持ちでしたか?