東北の希望の星になる!心を合わせサッカーで勝つ東北の希望の星になる!心を合わせサッカーで勝つ
震災から立ち直ろうとする人々にとっての希望の光になろうと闘い続けてきたベガルタ仙台。再開幕したJリーグでは不屈の姿勢を貫き、昨年の14位から4位(2011年11月末現在)へと大躍進を遂げた。その原動力は、地域のおかげ、皆のおかげで自分たちはいるという意識。「 選手の意識を変え、周りを巻き込んでビッグクラブをめざす」と手倉森監督は語る。
被災地と共に歩むサッカー
今年は強くなったという、ありがたい称賛の声をたくさんいただく。その中には「震災があったから強くなった」という見方がやはり多い。我々は被災地チームなので、それで良いと思う。しかし選手には「これまで積み重ねてきた努力があったから、俺たちは強いチームになった。でも、それは我々だけがわかっていればいいじゃないか」と話した。
2008年に監督に就任してから毎年スローガンを掲げて、チームの変革を行ってきた。
震災のあった2011年のスローガンは、「V Shift」。前年の2010年はJ1に昇格し、なんとか残留したという状況だった。それをJ1の上位チームに見合うだけのものに変革しようという意味を込めてのスロ-ガンだ。2011年は、監督就任から4期目となるシーズンで、私の戦略や戦術は選手たちに浸透しつつあったが、それを100%発揮させるためには、選手、スタッフともども気持ちをさらに高めていかなければいけないと考えていた。震災が起きたのは、その矢先である。
地震直後は、とにかく安全確保が最優先と考え、選手やスタッフを半壊状態のクラブハウスから、避難させた。
翌日、津波の惨状をテレビ映像で見て、「これは本当にサッカーをやっている場合ではない」と改めて感じた。それでも、クラブが活動を再開できるようにマネジメントを執るのは自分だという使命感があった。
余震が続く翌日から、スタッフとともにクラブハウスを訪れ、天井が落ち、ものが散乱した2階の片づけを始めた。まだいいだろうという声もあったが、いざJリーグの開幕が早まったり、練習ができるようになった時に、選手を迎え入れられるようにしたかった。その後も、毎日クラブハウスに通い、何ができるかをスタッフと話し合う日々が続いた。
この間、キャンプ地を探しに関東地方を車で巡り、千葉県市原市に受け入れ先を見つけた。
だが、私も被災地の住民として、水を汲みにいったり、食材の買い出しに出かけたりしていると、「ベガルタには仙台にいてほしい」と声をかけられることが何度もあった。仙台でトレーニングを行うことはままならなかったが、サポーターの気持ちもわかる。そこでキャンプに出るのを1週間遅らせ、仙台の地でトレーニングや復興ボランティアを行うことにした。仙台で我々がトレーニングを始めたことを発信し、一緒に頑張ろうと伝えたかったのだ。
その際、選手たちが、自分たちの置かれた状況を理解して行動できるかが課題だった。我々が動き出せば必ずメディアが集まる。テレビカメラもくる。そう選手にも話していたが、その時、不謹慎な表情をしている選手がいれば、地域の方々に申し訳ない。
そう考え、選手たちを石巻市の日和山公園に連れていった。丘陵地にある公園からは、石巻市内を一望できる。ここで津波の惨状を目の当たりにした選手たちは、みな言葉を失った。今でこそ良かったと思っているが、あの一瞬は見せないほうがよかったのでは、心に傷を残してしまったのでは、という思いが頭をよぎった。