Column 亭主と客の双方でつくり出す 茶道から見る日本のおもてなし
ここまで企業の目線から、さまざまな「日本のおもてなし」の姿を見てきた。だが、その源流――「日本文化の中で生きるおもてなし」とは何か。本稿では、「茶道本来無流儀」「秘伝開放」を掲げる茶道の一派、「大日本茶道学会」を通して、茶道の世界から今一度、「おもてなし」の本質を探る。
流儀も作法もより大きな視点から捉える
――創設者・田中仙樵氏はどのような想いを持って、大日本茶道学会を立ち上げたのでしょうか。
田中
江戸時代に「遊芸」として受けとめられてきた「茶の湯」を、明治の近代日本において、国民的な学芸「茶道」として定着させることが目的であったと考えています。近代の文化にふさわしい形で受け継ぎ、「伝統」として現在につなげる必要があったのです。その中で仙樵は、流儀を越えて茶道の源流を明らかにし、茶道を再生し、新時代の教育を受けた人々にも受け入れられるようにしました。仙樵が呼ぶ「茶道」とは、それまでに成立してきた流儀全てを受けとめたものです。多くの流儀が自らの流儀、自らが伝えている茶道だけを「茶道」と呼んでいた中で、仙樵は自分の流儀も含め、より総合的に広い視点で茶道を捉えていたのです。
千家と石州流の皆伝を得て、独自の研究で体系化した仙樵の茶道は、結果として流儀となりました。仙樵がつくり上げた茶道を教え伝え、免状を発行するという側面から見れば、大日本茶道学会も「一流儀」と言えます。しかし、流儀を絶対視せず、「日本文化の中での茶道という観点で捉える」という成立の理念を、今日まで受け継いでいます。
――仙樵氏の「総合的な視点での茶道」を表すような具体例はありますか。
田中
日本文化の中で形成されてきた「茶道」という視点に立てば、茶道の作法は礼法に相通ずると捉えています。例えば、部屋に入る時に右足から入るか、左足から入るか。流儀によっては常に右足、または左足と定めていますが、大日本茶道学会では常に上手を受けて入ると定めています。部屋の入口の位置によって、上手から遠いほうの足から入るのです。礼法の原点である中国の『礼記』の中に、「東の塔に上るには右足から、西の塔には左足から上る」という言葉があり、敬う対象から遠いほうの足から近づくということです。これは、神道の「正中を敬う」という考え方とも合致するものです。