連載 起業するイノベー一ターたち [第12回] 橋梁の長寿命化をテーマに 産業ルネサンスを提唱
中小・ベンチャー企業の創業者、後継者の実話から変革への要点を探る
ビーエムシーは、「建設ラッシュの時代は過ぎた。今後、ニーズが高まるのは、補修・メンテナンス事業に違いない」と考えた元国鉄・JR 総合技術研究所の技術者だった阿部允社長が、初心を貫くために、スピンオフして設立した企業である。ビジネステーマは橋梁を中心とする構造物の長寿命化であり、鉄道橋梁で培ったメンテナンス技術を市場規模の大きい道路橋梁に転用し、コンサルティングサービスを行うことにある。
スピンオフして会社を興す
ここ数年、高度経済成長期には人々から見向きもされなかったようなビジネスが開花している。家のリフォームや機械の修繕、ESCO(エスコ)と呼ばれる省エネコンサルティングサービスなどがその代表例である。これらに共通するのは、スクラップ・アンド・ビルドではなく、既存の建物や装置類の有効活用を図ることである。
ビーエムシーの阿部允社長は長年、皿総合技術研究所(JR 総研) の維持管理技術者として、鉄道橋梁のメンテナンスを業としていた。ところが、いつも不思議に思うことがあったという。「わが国では、メンテナンスさえしつかり行えば100 年はもつ橋梁を、50年ごとに新規に建造し、更新しているのです。これでは資源のムダ遣いだし、環境負荷もかかります。しかし、多くの人が頭ではわかっていても、長い間の慣習を打ち破ることはできなかったのです」と阿部氏。新規建造に比べ、メンテナンスは予算が取りにくいという側面もあった。
「建設ラッシュの時代は過ぎた。今後、ニーズが高まるのは、補修・メンテナンス事業に違いない。しかも、この分野の仕事はベンチャー企業に向いている」。時は世の中がバブルに浮かれていた1980 年代後半のことである。阿部氏は、JR 総研の技術者数人とともに、スピンオフして会社を興すことを決意したのである。
もっとも、ビーエムシーの設立は1993 年のことである。阿部氏がスピンオフを決意した時から約5年ほどの夕イムラグがある。
真相はこうである。当時の阿部氏にはJR 総研でやり残した仕事があった。しかし、新規事業も始めたいしそのための会社も興したい。かといって、サラリーマンの身分で二足のわらじを履くこともできない。
そこで、父親に頼んで、新会社の創業社長になってもらい、自らは余暇を利用して新会社をバックアップするという方法で事業を立ち上げたのである。そして93 年、JR 総研を退職して改めて株式会社として登記し、現在に至っている。
では、なぜスピンアウトでなく、スピンオフなのか。