連載 起業するイノベーターたち 第17 回 現に世にないものを開発する

中小・ベンチャー企業の創業者、後継者の実話から変革への要点を探る
時速300 キロで走る新幹線車体に付いた0.3 ミリのキズを正確にキャッチー。この画期的な外観検査装置を開発したのがテクノスである。小規模ながら、日本の製造業トップ50 社の7 割をユーザーに持つ、注目の企業である。山田吉郎社長は大学院修了の翌年に会社を設立して以来、「現に世にないものを開発する」をモットーに、開発者魂をいかんなく発揮している。
目の細胞を電子回路化
従来、製品の外観検査は、人間の視覚による目視検査が一般的であった。表面の細かなキズや塗装の不良などは、機械に頼るよりも熟練した作業員のほうが速く正確に発見できるというのが半ば常識となっていた。特に対象物の色ムラや光沢ムラの検出は、人間の目でないとわからないと考えられてきたのである。
人間の目視検査は、やや離れた所から全体を眺めて、キズや色ムラを検出する。しかし、人間の目には個人差があり、その日の体調や気分によっても精度は違ってくるし、現在、視力が良い人でも加齢に伴う視力低下によって、いずれは仕事が続けられなくなってしまう。
そんななか、この分野の自動化に果敢にチャレンジしたのがテクノスである。社長の山田吉郎氏は、目に備わっている細胞に着目。人間の目の検知機能を電子回路に置き換えることを考えついた。そしてカメラとCPU (CentralProcessing Unit : 中央処理装置) は標準仕様のものを使い、その間の仕組みを開発することで、汎用化に成功したのである。
小学生で電子回路を組む
神奈川県生まれの山田氏には、モノづくりにまつわる幼いころからの逸話がたくさんある。ノJヽ学生で電子回路を組んで発信器やインターホンを作り、中学生の時は友人のテープレコーダーを修理した。
そして高校1 年の時に「相模電子工業研究所」という看板名で、コンピュ一ターの開発に着手。また、自宅周辺の住宅街を主な市場に家電製品の修理などを手がけた。家電修理の顧客は最盛期には400 軒以上にもなっていたというから、商才にも長けていたようだ。
創業精神にあふれていただけに大学院修了の翌年に当たる1975 年6 月にモノづくりの街、東京・大森でテクノスを設立したのは「むしろ自然の成り行きだった」と山田氏は語る。
もっとも当時は、ちょうど商用の大型汎用コンピューターが普及し始めた時期であり、山田氏の目標もセンシングシステムではなく、「世界一の汎用コンピューターを作って、大手メーカーを打ち負かすことだった」という。「いまから思えば、若気の至りとしか言いようがありませんが、そういう夢を描いていたことが活力になったのだと思います」(山田氏)。
スタートアップ時にはチェーンの検査装置や配電設備、制御装置の製作で運転資金を賄い、相模工業大学(現、湘南工科大学)の講師なども勤めていた。