短期連載 第1 回 チームに学習をもたらす 『ダイアログ』の進め方

P.センゲは、著書『学習する組織「5 つの能力」』で投げかけている。「なぜ一人ひとりのIQ が120 を超えていても、チーム全体ではIQ85 の力しか発揮できないのか、チーム学習はこのパラドックスに立ち向かう」。チームが学習できなければ組織は学習できない。チーム学習はダイアログで始まる。本稿ではこれから3 回にわたってダイアログについて紹介する。
ダイアログとは何か?
私たちを取り巻く環境の変化は、今後ますます速く、ますます大規模なものになっていくように感じられます。こうした背景のなかで、一つの組織がまとまりを保ち、共通の目標に向かって進んで行くためには、同じ組織に属する立場や見解の異なる人々が、ともに考え、ともに行動する能力を身につけていくことが必要になります。
非常に大雑把な言い方をすれば、少し前まで日本は、単一の民族・文化・言語を特徴とする、権威主義的傾向の濃い縦型社会であったために、社会のメーンストリームに属する人々とは異なる価値観を持った人は村外れにされるのが当たり前といった風潮があったように見受けられます。そのために、立場や見解の異なる人々同士が、それぞれの違いを受け入れながら建設的な話し合いを進めるようとする文化は、日本では最近になるまで、あまり発達してこなかったようです。
ところが、いま世界が直面している、テロリズムや天然資源・環境問題などは、人種・文化・言語・利害が異なる人々が、本当に深く話し合って、人類共存のための解決策を探り、共通の理解の下に皆が努力を続けない限り、解決できない問題ばかりです。このような状況は年を追って鮮明になってきたとはいえ、既に1970年代初頭から、一部の識者たちの間で深刻に取り沙汰されていました。
アインシュタインが、自分の後継者として物理学の世界に大きな貢献をするだろうと考えていた、量子物理学者の故・デビッド・ボームは、量子物理学の研究が進むにつれて、「思考」と「認識」と「現実」の関係、新しい現実を生み出す「思考」の働き、「コミュニケーション」といった分野に深く興味を持つようになりました。彼は、欧米の学者や識者のグループとともに、破滅に向けて進んでいる人類の意識を変えるような話し合いの可能性を追求して、定期的にワークショップを続けました。
1984年の夏にロンドン郊外で行われた、ボームの2泊3日の週末ワークショップにおいて、「参加者全員が、『今』という瞬間に意識を集中すると、話し合いの場に大きな変化が起きるはずだ」という話し合いが行われたことがありました。その時、当時大学院生だったウイリアム・アイザックスの提案で、皆でそれをやってみたところ、場のエネルギーが大きく変化し、語る人の言葉が、聞く人の思いに邪魔されずにそのまま相手に伝わるという、それまでとは全く異質の話し合いの場が開けました。
参加者たちは、その場で生まれた話し合いを、通常の話し合いと区別するために、「ダイアログ」と呼ぶことにしました。ダイアログとは、「ダイア」(通る・流れる)と「ロゴス」(意味・言葉)を語源とするギリシャ語の言葉で、「意味が通る」話し合いのことです。「ダイ」を「2」を意味すると解釈して、「ダイアログ」を(二人の間で行われる)対話のことだと解釈する人がいますが、本来この「ダイア」には、「2」の意味はありません。一個人のなかでも、ダイアログの姿勢を保つことができますし、実際のダイアログは、20~40人で行うのが一番よいとされています。
ボームのグループでは、その後もしばしばダイアログが起きるようになり、ダイアログが生まれるメカニズムや、ダイアログが起きやすい場を生み出すための手法に関しても、体系的な研究が進められています。
こうしたボームのグループによる研究を引き継いで、その後のダイアログ研究の第一人者となっているのが、先述のウイリアム・アイザックスであり、今回の連載記事では、アイザックスのグループによる研究を中心に、ダイアログの進め方のヒントをご紹介して行きたいと思います。
少し難しい表現になりますが、アイザックスは、「ダイアログとは、日々の経験や自分たちが当たり前と思っている事柄に関して、集団で行う持続的な探求のことであり、ダイアログが目指すのは、日々の経験の背景や、そうした経験を生み出す思考と感情のプロセスをよりよく意識できるような『探求の場』を確立することによって、参加者の間に新しい意識状態を生み出すことである」と言っています。
ダイアログを行うためのヒント
ダイアログでは、何を話すかという〈話し合いの内容〉ばかりでなく、どのように考えるかという〈思考のプロセス〉や、どのように語り、どのように聞くかという〈話し合いのプロセス〉、さらには何のために話し合いをするのかという、〈話し合いの意図〉などにも注意を払います。