連載 組織の壁を破る!CFT 活動のすすめ 第4 回 競争優位の経営体質構築を目指し CFT で技術部改革に挑む東電工業
市場の急激な変化に対応すべく、多くの企業が経営改革に取り組んでいるが、電力も例外ではない。“電力自由化”は、電力会社に市場での競争力強化を促している。こうした変化のなか、東京電力グループの一員として発電所のメンテナンスなどを担う東電工業でも、現場から変革の機運が高まり、2004 年9 月、技術部の改革がスタートした。改革の最初のフェーズは精緻な現状分析。問題点を多様な視点や立場から総合的に判断するために、プロジェクトはCFT によって進められた。
経営改革クーデターの蹉跌
東京電力が100 %出資する東電工業は、グループの中核企業として、火力および原子力発電所のメンテンスを担う重要なミッションを果たしてきた。
技術部技術グループマネージャーの小林茂登喜次長が事業概要を説明する。
「弊社の主業務は、火力発電所と原子力発電所のメンテナンスです。発電機械を分解して点検し、再び組み立てて定期点検を実施します。さらに工務本部では東京電力の変電所の新設、増設、改造工事などを行っています」
発電所のメンテナンスは売上高の約90%を占めるメイン事業であると同時に、東電の経営計画と一体化した形で発注される極めて安定した収益源でもある。東電工業は安定した経営基盤によって築かれた安定的な事業収益をベースに、電気事業という重要な社会インフラを守り続けてきた。
ところが、そうした安定した経営基盤が“電力自由化”という新たな国策によって、激変しようとしていた。
「異業種の電力事業参入を認める電力の自由化が進むことで、東京電力は経営の競争力を強化する経営方針を打ち出すようになりました。競争優位の経営体質を構築するために、経営コストに対する見直しや厳しい精査が行われるようになったのです。したがって弊社としても、100 %出資の親会社の発注に依存するだけではなく、長年培ってきた自社の技術力やサービス力を活かして、グループ外からの受注を増加する経営戦略が、求められるようになってきたのです」(小林氏)
例えば、自社技術を活かしたディーゼル発電機のメンテナンス業務などを強化して、病院や大規模商業施設といった新規顧客を開拓する経営戦略が、有望な新規事業として検討されていった。
だが、安定したグループ経営の枠を飛び出して、適者生存、弱肉強食という市場競争に勝利するには、全社規模の経営改革が必要だった。
それは何なのか。
小林氏が指摘する。
「どうすれば自社の経営力を強化できるのか?
を真剣に考えるようになりました。自社の技術力を生かしてライバル企業に勝つといっても、培った高度な技術力を経営力に生かすためには“人材を活用するマネジメント力”が不可欠です。東電工業の明るい未来を築くためには、優れたマネジメントを実践する人材の育成が不可欠なのです。経営課題の多くは、最後は人材の課題に行き着くことを強く認識しました。しかもいままで弊社の人材育成は、施工管理者認定といった極めて限定的なスキル教育しか行われてきませんでしたので、市場競争力を発揮する業務の変革とマネジメント力のある人材の育成が急務だったのです」
東電グループという極めて閉ざされた市場からグループ外という開放市場へ打って出る“開国政策”を断行するためには、自由競争の試練に打ち勝つための経営資源を構築しなければならなかった。経営戦略、事業戦略、事業リーダーとなる人材の育成など、経営改革の課題は山積していた。
さっそく小林氏は社内の仲間を募って、経営変革のアクションを起こした。
「今後、弊社が激しい自由競争の波に巻き込まれていった時、次々と突きつけられる経営課題を解決するためには、課題を迅速に解決する社内システムと課題の本質を見抜き、正しくスピード対応できるマネジメントが求められます。そうした全社的なマネジメント人材のスキルアップを実現する経営変革プログラムを導入したいと考えました」
2004年1月、技術部に所属する小林氏を始めとして、経理部、経営企画部、総合研修センターといった社内横断的な部署に所属する有志約10人が、経営層に変革の提案を行った。
「私たちが変革モデルにしたのは日産のカルロス・ゴーン社長が経営改革で断行した人事施策でした。経営ミッションを部門から社員一人ひとりのコミットメントに落とし込む経営スキームの導入を経営陣に提案したのです」
日産のゴーン改革の目玉は、経営ボードが策定した経営目標の達成を最大化させるための「人事マネジメント」にある。いくら経営が高い目標を掲げて明るい将来像を描いたとしても、経営目標が着実に達成されるマネジメントシステムが機能していなければ、経営目標はすべて“絵に描いた餅”になってしまう。
ゴーン改革が短期間で驚くべき成果を達成して一気にV字回復し、世界の自動車市場で競合と互角に戦うコンペティターに復活した最大要因は、コストと利益を重視した業務改革とリンクするマネジメント改革にあったのである。
小林氏を中心にした有志一同は、日産が実現した経営改革の最重要課題を「自社の経営改革に導入したい」と経営陣に“直訴”した。
ところが――。
「私たちが提案した改革案は、全く受け入れてもらえる余地が無く、白紙撤回となりました」
改革案を手にした経営陣は、単刀直入に質問した。
「経営改革に関する提案であれば、本来経営企画部門が行うべき業務であるはずだが、どうして技術部から提案されたのですか。こうした無秩序な業務執行を、会社として受け入れるわけにはいかない」
経営陣の反応は、極めて常識的なものだった。所轄部門を飛び越えて、いきなり無関係の部署から全社的な経営改革案が提案されることなど前代未聞の珍事であり、東電工業でなくとも、ほとんどの企業ではあり得ない=受け入れられない業務執行であったからだ。
有志一同という社員勝手連による経営改革の提案=経営改革クーデターは、こうしてあっけなく否定されてしまったのだった。
技術部内の改革から突破を図る
クーデターの失敗を喫した小林氏は、再起を期す覚悟を決めていた。なぜならば、失敗によって経営改革の必要性が消失したわけではなかったからである。むしろ、社内問題によって改革の着手が遅れれば遅れるほど外部環境は激しく変化し、自社の競争力が失われてしまう危険性が大きかった。
小林氏が、当時の心境を告白する。
「人事の視点から改革を提案すると、社内的に非常に厳しい抵抗を受けることを学習しましたので、あくまでも技術部マターに立脚した技術者の育成や技能力の向上を目的にした“技術部改革案”を考えるように方向転換しました」
経営改革の衣を技術部改革に着せ替えることで、改革の着手を期す巧妙な作戦だった。同じ改革であっても、技術部が全社改革を提案すればまず受け入れられないが、技術部内改革であれば、受け入れられる可能性が高くなる。まず技術部内で改革の実績を積み、その実績をベースにして全社改革へと改革のウイングを広げる“二段構えの改革突破作戦”が、こうして立案されていったのである。