営業のカリスマに聞く-2 カリスマセールスレディから 娘たちへ受け継がれる 営業遺伝子

激烈な競争に明け暮れる生保営業の世界にあって、26 年間連続営業日本一を達成した伝説の生保レディが柴田和子氏である。そしていま、柴田氏の最強営業DNA は、同じ世界に飛び込んだ二人の娘たちにしっかりと継承されている。
カリスマは、娘たちに「学ぶ大切さ」を教えた

柴田和子氏。
柴田氏が打ち立てた〈26年連続生保セールス日本一〉という前人未到の金字塔は、いまだ乗り越えられない“神話”となり、柴田氏の名前と業績はギネスブックに登録されて燦然と輝いている。セールスレディの勲章の一つは既契約の保有件数だが、柴田氏は契約者数で約3,000件、被保険者数で約2万件という驚くべき数字をあげ、熾烈な競争を勝ち抜いてきた。
そのカリスマには、二人の娘がいる。就職活動に関心を向けるようになった大学3年生の時に、母である和子氏に内緒で生保セールスレディの職業を選択した長女の柴田知栄氏、大手建設会社でOL生活をエンジョイしていた次女の佳栄氏も、26歳の時に生保セールスレディに転身した。
佳栄氏の生保入りは、なんとゴルフがきっかけだったという。7回目のゴルフでホールインワンを達成した佳栄氏の“腕前”を聞いた生保トップは、「ホールインワンなんてやろうと思ってもできるもんじゃない。わずか7回の経験で達成した佳栄さんは、素晴らしい強運の持ち主だ。ぜひわが社のセールスレディに欲しい」と、和子氏を口説き落としてスカウトした逸話が残っている。
生保レディのサラブレッドとして生まれ、母の後を追う形で業界に飛び込んだ娘は、知栄氏が第一生命で第一位、佳栄氏が第二位のセールスを達成するまでに成長し、“カリスマのDNA”は着実に継承されてきた。
和子氏が語る。
「娘二人を生保セールスレディにする気持ちは、全くありませんでした。この仕事は素晴らしい仕事であると同時に、毎月、毎月ゼロからの出発が義務づけられる非常に厳しく辛い仕事です。例えば今月100 億円の契約を達成したとしても、その実績が来月の成績にストックされることはなく、月が替わればまたゼロからのスタートです。契約トップというばら色の天国と実績ゼロの地獄を毎月往復する仕事、それが生保セールスレディの毎日なのです。娘に甘い一人の母親として、あえて勧めたい仕事とは考えていませんでした」
和子氏は幼い時に事業で成功した父親を亡くし、中学時代まで貧乏のどん底生活を送った。大学進学をあきらめた兄の稼ぎと母の支えで都立新宿高校に進み、アルバイトを掛け持ちしながら卒業。アルバイトの家庭教師の教え子が志望校に見事に合格した時、教え子の母親から「お礼をしたいのだけども、何が欲しいかしら」と聞かれ、即座に「お醤油が欲しい」と答えたことを、和子氏はいまでも忘れない。
高校卒業後、大手アパレルメーカーに就職した和子氏は、やがて部下だった男性と結婚。ようやく幸せな結婚生活を送れるようになった時、たまたま声をかけられた生保レディの仕事に興味を抱いたことが、栄光へのスタートとなった。
二人の娘は幼いころから、1カ月間の締めがあと数日に迫っても、まだ1本の契約も取れずにもがき苦しむ母の背中を見ながら育った。
知栄氏が子供時代の生活を振り返る。
「母は朝から晩まで働いて家にいない毎日でしたので、私たちは同居していた母方の祖母に育てられました。祖母は躾の厳しい人で、どんなに母の収入が多くなっても、孫にぜいたくをさせない人でした。経済的な豊かさに溺れることを戒めて、おやつはいつもお芋を蒸かしたものや蒸しパンを作って食べるので、ちょうど流行りかけたマクドナルドのハンバーガーさえも、ぜいたくなおやつでした」