連載 人材教育最前線 第7 回 ニチレイ 働きがいの向上には、 さらなる能力開発が必要となる

木谷宏氏は、ニチレイの経営企画部長としての重責を担う傍ら、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程の単位を取得し、現在も国際経営・人材戦略の専門家である佐久間賢教授の下、組織論の研究を続けている。ジョージ・ワシントン大学ビジネススクールでマーケティングを学び、人事部への異動を契機にヒューマン・リソースについて勉強したいと中央大学大学院への入学を決めた木谷氏に、働きがいの向上と能力開発の必要性について伺った。
大阪万博で物の豊かさから心の豊かさへの転換を確信
木谷宏氏は、25歳でニチレイに入社した。東京大学を2 年留年したからである。官僚を目指して東大受験したはずなのに、入学したとたん授業そっちのけで青春を謳歌しすぎてしまったのだ。アメリカのヒットチャートに夢中になって学内にサークルを設立したほか、友人たちとの付き合いにも熱中した。もっとも、留年も2 回を重ねるとさすがに自分の将来をおもんばかり挫折感に苛まれた。「とにかく就職しなければ…」という焦りと「何のために働くのか」という切実な思いから、木谷氏は真剣に就職活動に取り組んだと述懐した。
ニチレイ入社の決め手は、3つあった。1つは、豊かな時代に生きているからこそ、食にかかわることに対する期待である。
1959 年生まれの木谷氏は、11歳で迎えた大阪万博に強烈な衝撃を受けたという。華やかな宴のために用意されたパビリオンは、終了後一部の施設を残しすべて壊されてしまったからだ。
「せっかくつくった物を破壊してしまうなんて、それまでの日本社会なら許されなかったはず。しかし、無駄とも思える行為で現実にはみんなが潤っている。カラーテレビの出現、車社会の到来と日本の高度成長と歩を合わせて育ってきた私にとって、大阪万博は“物質の豊かさを享受している”という意味での象徴でした」
就職を前に、これからの日本社会は“心の豊かさ”が求められると、木谷氏は確信していた。家族で囲むテーブル、グラスを手に語らう一時、味覚の思い出など、食は、心の豊かさを演出する。加えて、食品は体内に摂取するものであるからこそ、健康の基本となる。健康もまた、心の豊かさに直結する。
決め手の2つ目は、ニチレイの企業風土にあった。ニチレイは、1942年に創立した帝国水産統制株式会社が、戦後の水産統政令廃止を受け設立された日本冷蔵を、85年に社名変更したもの。戦後の混乱期から永く、日本の食のインフラを担ってきた会社であるといっても過言ではない。社内にも「ニチレイが止まると日本の食が止まる」という自負は強く、社風はきわめてまじめだという印象を当時の木谷氏はニチレイから強く受けた。その思いはいまも変わらない。顕示的消費財でなく、生活に密着した公共性の高い食を扱うからこそ、誇りを持って仕事ができると木谷氏は考えた。
3 つ目は、食品業界とニチレイの将来性への期待である。ネスレやキャンベルといった海外のスーパーカンパニーを見れば、日本の食品業界のステータスももっと高まるはずだと思ったのである。しかもニチレイは卓越した食と物流のネットワークを備えており、単なる食品メーカーとは一線を画する“未完の大器”に思えたと木谷氏は語る。
社内留学制度を活用して、ビジネススクールでマーケティングを学ぶ
大学時代の生活を後悔はしなかったが、勉強すべき時期を怠惰に過ごしてしまったという反省から真摯に就職活動に取り組んだ木谷氏は、入社後は真剣に仕事と対峙した。
「なぜこんなことをやるのかと考えると、精神のバランスを崩すか会社を辞めたくなると思ったので、何も考えず、与えられたことにがむしゃらに取り組もうと決めていました。新入社員研修の際、『希望はありません。どんな部署に配属されてもかまいません』と答えたほどです」