連載 人材教育最前線 第12 回 収益なき人材教育はない それを生み育てる人を育てる

キリンビール医薬カンパニーは来年、独立した企業「キリンファーマ」として出発する。既に「キリン医薬ビジョン2020」を掲げ、2020 年に医薬事業がどうありたいか、それをどう達成するかの戦略を策定した。これを実現させるのはまさに人。尾川氏は、今、キリンの医薬事業全体の人材開発に取り組んでいる。医薬の研究員として入社した尾川氏がなぜ人材開発に携わることになったのか。次の時代を託す人材を育てるのが自分の最終テーマだと語る尾川氏に、その想いを聞いた。(山川稚子)
薬理研究者から一転、会社内の橋渡し役を目指す
キリンビールが医薬の部門に進出したのは1982年。当時は研究が中心だったが、90 年代になって研究から開発、製造、販売までを行う製薬企業としての機能が整った。現在、従業員は約1300人、中国、韓国、台湾、アメリカなど海外にも現地法人がある。
キリンビールは01年に事業持株会社制と社内カンパニー制を導入したが、同時に医薬事業部門は「医薬カンパニー」となった。そして来年7月、純粋持株会社制の導入に伴い、医薬カンパニーも「キリンファーマ」として新たなスタートをきる。
キリン医薬カンパニーが掲げている「医薬ビジョン2020」の取り組みに、人材開発の立場からアプローチを続けているのが、尾川信之氏である。
もともと尾川氏は薬理の研究者だった。全くの門外だった人材開発になぜ携わるようになったのだろう。
それにはいくつかの転機があった。
尾川氏がキリンビールに入社したのは32歳の時。それまでは、財団法人食品薬品安全センターで薬理の研究していた。薬理というのは、生理活性物質を見出し、それがどんな薬になるのかを研究するもので、病気に有効な物質を見つけて、動物実験などでそれを実証していく。
思うところあってここを辞め、群馬県高崎市にあるキリンビール医薬事業本部(当時)の医薬開発研究所(現、医薬探索研究所)薬理評価グループに研究員として入社した。
尾川氏の専門は、循環器系の薬の開発。主に狭心症、高血圧、心不全、不整脈などに効く薬の開発を研究していた。ところが入社5 年目、尾川氏が37歳の時に転機が訪れる。医薬として循環器領域の開発を止めるという決断が出たのだ。ずっと循環器領域の研究をしてきたのに、その研究分野がなくなってしまった。
「どうするかなぁ」と思いながら残務整理をしている時、研究所長から同じ研究所のなかにある研究企画という部署に移るように、という話があった。
研究者だった尾川氏は研究所のテーマ企画書くらいしか書いたことがない。本社から策定依頼の通知がきて、中期計画や年度の事業計画をつくらなければならないが、最初の頃は作文程度。何とかキリンのなかで生きていく方法はないものか、と模索していた時、研究現場にいた頃に聞いた話を思い出した。
当時、医薬事業本社の事務職には、酒類事業出身者が多く、医薬や医薬の研究について詳しいことはわからなかった。一方、研究所の研究員は、研究に必要なさまざまな交渉をしてもなかなか理解してもらえない、というものだった。
「そうだ。理科系と事務系を、通訳するみたいに橋渡しをする人間は絶対にニーズがある。これに懸けよう」
薬の研究者になりたくて基礎から学び、薬学の博士号もある。同じように会社の経営についても基礎から学ぼう、と考えたのだ。
その頃、法政大学に社会人大学院ができたことを知った尾川氏は「よし、ここでヒューマンリソースをやってみよう」と受験する決意をする。
若手を育てる過程で人材育成の重要性を知る
ヒューマンリソースを選んだのは、研究所のテーマリーダー時代に「人を育てるということがいかに大切か」という意識を持っていたからだ。
若手メンバーのリーダーだった尾川氏は「同じ環境を提供しているのに、人によって研究成果に差が出る。みんなには同じように育って欲しい。それにはまず、人をしっかり育てることだ。そうすれば、環境は十分でなくても、知恵を使って成果を出してくれる」と思ったのだ。