人材教育最前線 プロフェッショナル編 会社という場を借りて社会に尽くす仕事をする
日本のカード業界におけるリーディングカンパニーとして、「サービス先端企業」であり続けることを目指すクレディセゾン。これまで、OPEN、FRANK、INNOVATIVE な社風の下で、個人の能力を重視し活用する人事制度を次々と導入してきた。人事部人材開発課課長として活躍する武田雅子氏も、“個人の能力を重視し活用する”同社によって活躍の場を与えられた1人である。現在は、教育と採用を担当し、同社の人材開発全般を担当する武田氏に、人材育成に対する思いを伺った。
場を提供し挑戦させる風土
入社2年、わずか22歳でセゾンカウンターのショップマスター(係長相当職)に抜擢され、以来どの店に転勤しても表彰を受ける営業実績を残してきた武田氏。社内ではカリスマショップマスターと呼ばれていたという。彼女が営業推進部業務統括課に配属されて教育の仕事にかかわるようになったのは、入社12 年めの2001 年4月だった。前年に提出した業務改善レポートが評価されたためである。もっともそのレポート、所属していた北関東支店でとりまとめをしていた同期から「部数が集まらないから、ぜひ書いて」と頼まれたため、「しょうがない」という気持ちで作成したものだったという。
「営業現場での現状を分析し、業績向上のために“暗黙知”を“形式知”にできるように社内の共通言語をつくるべきだと訴えました。そうしなければ、仕事のスピードや正確さが失われてしまうからです。必要なのは効果的な研修を実施することだと指摘しました」。実現すべき提案だと確信していたが、まさか自分が教育を担当することになるとは思っていなかったと武田氏は述懐する。しかし武田氏は、ここが実にクレディセゾンらしいところだとも。同社には、「だったら、あなたがやってみなさい」と、場を提供し挑戦させてくれる風土があるというのである。
武田氏が1991 年11 月に、ショップマスターに登用された時も同様だった。クレディセゾンに入社した武田氏が配属されたのは、吉祥寺パルコのセゾンカウンター。当時は、営業成績の不振にあえいでいたという。2年が過ぎた頃、業績向上のためにどうすべきかについて、支店長が全メンバーに対し面接を実施した。その時、変革アイデアを一番多くもっていたのが武田氏だった。入社2年という経験を考えればありえないことだったが、その支店長はいわゆる年功序列を無視し、武田氏をショップマスターに任命した。
「勇気ある決断だったと思います」と、今ではその判断に感謝している武田氏だが、その時はプレッシャーに押しつぶされそうだったと振り返る。
「一方で楽観主義でもあったので、前任者より実績を上げることができればいい、という程度の感覚で仕事をすれば大丈夫だとも思っていました。スタッフより給料の安い、もっともコストのかからないショップマスターでしたし(笑)」
やるべきことをやる中で、それ以前より確実に営業成績は上がっていった。その手腕が認められ、翌1992 年、西友ひばりが丘店ショップマスターに。1995年には関西支店に配属される。さらに1998年に北関東支店に転勤となり、宇都宮パルコ店のショップマスターとしてチームを牽引していた時に提出したのが、前述した業務改善レポートだった。
研修は、個人のスキルや技能を標準化するためのもの
カリスマショップマスターという異名を誇る武田氏だが、「自分では特別なことをしてきたつもりはありません。どうすれば営業実績を上げることができるかその仕組みを把握し、すべき仕事を淡々とこなしてきただけです」と語る。
結果につながったのは、チームメンバーと何をすべきかが共有できていたことだと武田氏は説明する。これを全国に展開するにはどうしたらいいか。「当時のクレディセゾンには、業務マニュアルみたいなものはあっても、営業のノウハウやスタンスみたいなことがカタチになっているものがなかったのです」
2001 年4 月、営業推進部業務統括課に異動した武田氏は、「新任ショップマスター研修」を立ち上げ、全国の支店に出向き、自ら講師役を務めた。「今考えると稚拙な内容でしたが、毎回、参加した受講生が『こういう研修を待っていた』と喜んでくれたのです」。参加者の熱気は、300枚を超える研修受講者アンケートからもはっきりと伝わってきた。
翌2002 年2 月には、武田氏は課長に昇格。部下とともに「新任ショップマスター研修」をより実践的なものになるようにつくり込んだ。最終的には1泊2 日の研修を3コース用意し、東京で集合研修を実施するようにした。