巻頭インタビュー私の人材教育論 チームワークは自分の役割を理解することから始まる
JRグループ最大の企業規模をもち、鉄道事業のみならずIC乗車券「Suica」など最先端技術の開発や、エキナカなどの商業施設も展開している東日本旅客鉄道。
お客さまの安心・安全を確保し、サービスの質も高めていくためにも、社員に徹底した教育を施している。『仕事はすべてチームワーク』という清野智社長に人材育成を含めた今後の事業展開などを伺った。
最後のチャンスだった21年前の民営化
── 今年で民営化されて21年目を迎えました。国鉄の民営化が成功したことで、官から民への動きが加速したように思います。民営化がうまくいった要因はどのへんにあるとお考えですか。
清野
まず、移行の時期が今から思えば絶妙のタイミングだったということがいえます。さまざまな厳しいご意見もありましたが、一方で国民の皆さまの間には、『日本には鉄道が必要だ』という根強い思いもありました。この集団が変われば、国民の足として充分機能するとのコンセンサスがあったように思います。
さらには、働いている人たちにやる気があり、組織としても、まだ蘇生する力を残していました。もっと早くてもダメだったかもしれないし、逆にもっと遅ければ、それこそ、もうダメだというふうになったかもしれません。
当時、28万人の国鉄職員のうち、JR社員となれるのは約21万人でした。しかし、希望退職者を除き、ほとんどの職員は公務員、一般企業の社員等に受け入れてもらうことができました。
バブル崩壊後だと、民間もリストラに取り組んでいましたから、とてもできなかったでしょう。そうした意味では、21年前が最後のチャンスだったと思います。
tooがつくくらい真面目で走り出したら止まらない
── しかし、タイミングがよかっただけでは再生は実現しなかったと思います。民営化後の取り組みで、これは良かったな、と思われることはなんですか。
清野
当時の国鉄の話になりますが、組織形態が悪いがゆえにどうしようもなくなっていました。国鉄は、公共企業体として、官のしっかりしたところと民のよさを取り入れていこうということでつくったはずなんですが、結局は、悪い方にいってしまっていたのです。私は昭和45年入社ですが、39年から赤字ですから、黒字の決算をした経験がないわけです。
最初のうちは大変だ、大変だといっていましたが、そのうち赤字が膨らんで雲をつかむような数字になったものですから、これでみんな「まぁいいや。なんとかなるさ」という気持ちになってしまっていたのです。しかし、このままいけば自分たちは大変なことになるということに、昭和56 ~ 57 年頃から気づき、国鉄再建監理委員会の示す方向に向かって、どんどんと動き始めたのです。
国鉄時代から、社員1人ひとりのポテンシャル、マスとしてのパワーは、それなりのものをもっていたと私は思います。ただ、組織そのものに問題があり、その能力が活かされていなかったのです。それが、民営化で、いい方向づけをしたことで、活かされるようになりました。
ただ、あのときは、国民の皆さまも不安だったのではないでしょうか。5年間の収支予測をつくりましたが、多くのマスコミは「絵に描いた餅」だといっていました。
── それがうまくいったのは、民営化によって潜在化していたパワーが顕在化したということでしょうね。
清野
私がいうのもなんですが、国鉄職員の体質は、上にtoo がつくぐらい真面目でした。悪くいえば融通がきかないのです。しかし、走り出せば止まらない、そんな体質をもっていました。
── 民営化でいい方に走り出したわけですね。
清野
そうです。逆にいえば、舵取りが間違っていれば、民営化したといっても会社は危うくなっていたでしょうね。
── そういう意味からしますと、トップの方々の果たす役割が大きくなってきますね。
清野
その通りだと思います。民営化当時の住田社長は、『とにかく国鉄時代と逆のことをやればいい、もっともっと合理化できる。できるだけ運賃の値上げをしないでやっていこう』と、最初からいっていました。民間企業の経営を長年経験し、世の中でも大きな存在だった山下会長。運転系統のベテランの山之内副社長、労務担当の松田常務……。トップのバランスが非常によかったと思います。