巻頭インタビュー私の人材教育論 結果を出すことが自信につながり 人を成長させていく
2001 年のIT 不況の影響による業績不振から1000 億円を超える営業損失を計上した東芝。
2002 年度には看板である汎用DRAM 事業を終息させるなど、「事業の集中と選択」「社内構造の改革」を推し進めてきた。
その後、年々業績は回復し、2006 年度は17 年ぶりに過去最高益を更新した。
大転換期を迎えた時、企業は、従業員や組織をどのように育み、能力を発揮させるのか。
2000 年の取締役社長就任以来、巨大化した東芝の大規模な改革を断行してきた岡村正会長に話を伺った。
勝つことでしか真のチームワークは構築できない
── 岡村会長はラガーマンだったそうですね。東京大学のラグビー部でフォワードとして活躍され、東芝入社も東大ラグビー部のキャプテンだった町井徹郎さんに誘われたのが決め手だったと伺いました。
岡村
その通りです。残念ながら2 年前に他界されましたが、町井さんは東芝副社長や日本ラグビーフットボール協会会長を務めるなど、素晴らしいリーダーでした。
── ラグビーでは、どのようなことを学ばれたのですか。
岡村
私が1年の時、東大はリーグ戦全敗でしてね。連戦連敗でチームの士気も上がっていなかった。そこで翌シーズンを迎える時、「少なくとも実力が拮抗しているチームには勝とう」と、町井キャプテンが宣言したのです。どう頑張っても我々のチームではかなわないという対戦相手には目をくれず、目標を3校に絞って絶対に勝つと。
まず、相手を研究しました。その結果、どういう戦略で相手に立ち向かうかを組み立てる。そして、その戦略を選手に理解させる。もっとも、理解しただけでは当然勝てません。理解したうえで、選手1 人ひとりが具体的に行動しなければならないわけです。ただし、過度な能力を要求しても、できなければ意味がない。そこで、個人の力量と意思をマッチングさせて、戦略に応じて役割を決めていきました。もちろん、現状ではこういう戦法は無理だということがわかれば、戦略を変更しなければなりません。ですから、戦略をキャプテンと選手がひざを突き合わせて固めていきました。
さらに、漫然と練習をしていてはダメだと。東大ラグビー部はよく練習するチームでしてね。当時は、日曜日も含めて1日3時間は必ず練習していました。しかし、目的を明確にした練習をしなければ意味がないのです。集合練習とは別に、個人練習の重要性も指摘されました。たとえば私なら、もっとジャンプ力をつけなければならないとか。自分のやるべきことが明らかになって、成し遂げたいという想いが共有できれば、選手は自らを鍛えようとします。練習後や自宅に戻ってから、それぞれが自分の課題に取り組むようになりました。
── そうしたすべてが功を奏して、狙った3戦に勝つことができたのですね。
岡村
アマチュアといえどもスポーツですから、やはり相手を倒すことに目標がある。ひとつ勝ち方を覚えると、自然とチームワークが醸成されていきます。逆にいえば、結果を出すことでしか、真のチームワークは構築できない。元西鉄ライオンズの三原脩さんが野武士軍団をまとめていくのに「勝ちて和す」という言葉を使っていますが、私も同じことをラグビーから学んだと思います。
留学生活で学んだアメリカの底力とフロンティア精神
── 東芝に入社されてからもラグビーは続けていらしたのですか。
岡村
ええ。残念ながら本社にはチームがなかったものですから、各工場のチームに助っ人で参加したり、東大OB チームの試合に出たり。卒業後も10年近く現役として、毎週末ラグビーをやっていました。ですから、月曜日は身体がくたくたでね(笑)。とはいえ精神的にはスッキリですから、フラストレーションの解消になったんじゃないかな。
── 入社後、計測事業部に配属されて、そこではずいぶんご苦労なさったと伺いました。
岡村
苦労しない事業はないと思いますから、どうということはないですよ。計測事業部は私が入社する2 年前に設立された部署でしてね、当時東芝が計測事業をやっていることを知っているお客様はほとんどいなかった。生まれたばかりの会社に入社したような感じでした。その意味では苦労しましたね。東芝の名刺を出せばお客様は会ってはくださるのですが、「本当に計測事業なんてやっているの?」といった状態でしたから。それでも、新しい事業部だったからこそ、新入社員でも営業の現場にいきなり投入されましたから、辛いとはいえ現場で働くチャンスを得たことは良かったですね。