人材教育最前線 キーパーソン編 互いにパワーを出し合う風土が 人を感動させる商品を生む
玩具からスタートしたバンダイの事業は、現在ではプラモデル、カプセル玩具、菓子、カード、アパレル、トイレタリーとさまざまな分野で展開されており、今後もさらなる進化、発展を目指している。感動をカタチにするバンダイにとって、自立型人材の育成は企業継続のカギである。もっとも、自立型人材でなければバンダイでは働けないと、常務取締役の本田耕一氏は言う。自身の経験から、バンダイが求める人材像について伺った。
感動を創り出すのは個人の熱い想い
「クール・ジャパン」というキーワードに象徴されるように、アニメ、ゲーム、ファッション、音楽など、日本のポップカルチャーは海外で高い評価を受けている。アニメなどに登場するキャラクターが持つ“世界観”や“魅力”を、最適な形で商品・サービスとして提供するビジネスモデル「キャラクターマーチャンダイジング(CMD)」を事業の根幹としているバンダイは、いわば「クール・ジャパン」を牽引するリーディングカンパニーだ。「世界一の感動創造企業」を企業ビジョンに掲げているバンダイは、世界中から注目されている。
つねに新しいエンターテインメントの価値創造に挑戦するバンダイにとって、価値の源泉はまさしく“人”。感動を創り出すのは、個人の「これがやりたい!」「そこまでやるか!」といった熱い想いだからだ。だからこそバンダイは、社員に「楽しく働く、夢・志を持つ、感動創造できるバンダイバリューを持った“自立型人材”」となることを求めている。こうした会社と個人の関係をはじめとするバンダイの管理政策を担当しているのが、常務取締役の本田耕一氏である。
今や「学生が働きたい会社」で、つねに上位にランキングされるバンダイ。しかし本田氏は、入社した1982年当時の就職難易度について「今と比べたら比較にならないくらい易しいですね」と語る。
学生時代、本田氏は“働くこと”がうまくイメージできなかったという。バンダイに就職したのは、「おもちゃを企画する仕事なら自分にもできるのではないか」と思ったからだ。もっとも入社後配属されたのは、希望した企画部門ではなく、名古屋営業所。本田氏を入れてもわずか6 人。同期もいないし、赴任するのが嫌だった。
ところが、仕事は面白かった。本田氏が入社した翌1983 年に、同社はグループ会社7 社を吸収合併。これに伴い扱う仕事が増え、名古屋営業所の事業部は4つに増えた。所長と事務担当の女性を除けば、営業所の人員は4人。そこで、入社2 年めの本田氏にも1つの事業部が任されることになった。
「マミート事業部という一般玩具を扱う事業部です。名古屋営業所は全国で10%のウエイトを占めていました」
事業部全体では当時、営業マンの数は30 人ほどだったと本田氏は述懐する。そのトップになろうと若い本田氏は張り切った。
「トップになるにはどうしたらいいか、作戦を立てました。商品別に戦略を立て、取引先ごとにアプローチの計画を立てたのです。具体的には取引のボリュームの多い取引先との関係を密にしたり、クリスマス商戦に合わせた準備を徹底したりといったことです」
商品の確保も重要だが、同時に在庫管理にも目を配らなければならず、そのバランスにも配慮した。
「2 年めの若造でしたが、ある程度裁量権も与えられていましたから、仕事はやりがいがありました」
全国に営業所は7つあった。上半期、4番めだった名古屋営業所の売上達成率は、下半期に1番となる。翌1984 年からは、さらにほかの営業所と圧倒的な差をつけての1番となったのである。
「提案すれば実現できる」やらせてもらえる喜び
入社4 年めの年、本田氏は社内で実施された懸賞論文で金賞を受賞した。当時バンダイには、論文による不定期の提案制度があった。賞金はグランプリが100万円、金賞は50万円だった。
「この時の50万円は、すごくうれしかったな。しかし、それ以上にちゃんと提案すれば実現させてもらえることがうれしかった」