巻頭インタビュー私の人材教育論 社員の潜在力を引き出し 新しい価値を創造する
2003 年8 月、コニカとミノルタという日本の写真産業を支えてきた老舗が経営統合した。
しかし、デジタル化という大きな流れの中で、2006 年1 月に創業事業であるカメラ・フィルム事業から撤退を表明。
経営資源をカラー複合機などの情報機器事業と先進的な光学デバイス事業へと集中する。
その効果は2007 年度中間期の好決算という数値に如実に表れ、両社が完全に融合した証となった。
東京・大阪と立地も違えば、長らく培ってきた風土や文化も違う。この両社が統合し、この短期間で成果を上げるに至った背景にはどのような葛藤があり、どのように前進したのか。
前ミノルタ社長、現コニカミノルタホールディングス社長の太田義勝氏が語る。
選択と集中
── コニカとミノルタが統合して4年半になろうとしているわけですが、2007年度の中間決算はとてもいい数字が出たようですね。これも統合の効果が表れてきた結果かと思いますが、統合後を振り返って、どのような感想をお持ちですか。
太田
中間決算の数字は瞬間風速のようなものです(笑)。
統合当時でコニカが約130年、ミノルタが約80年と、それぞれ感光材料、カメラを中心にやってきました。2つを合わせると、まさに日本の写真産業の歴史といっても過言ではないでしょう。そういった商材や機材を通じて世の中に知っていただき、世界でも多くのお客様の支持を得てきました。
しかし世の中の流れは、そういうものからデジタル、ネットワーク製品へと急速に変わっていきました。たとえば、私が社長をしていたミノルタでは、統合直前、情報機器――複合機(コピー・プリンタ・スキャナ・FAX等の複数の機能を有する情報機器)や複写機、プリンタなどが全売上高の約7割を占めていました。コニカも同様で、情報機器分野が売上高の4分の1くらいに達していたのです。いずれにせよ、両社ともすでに従来のフォト中心の事業から踏み出していました。
グローバル競争の中でしっかり生き残っていくには、経営資源を大きくしなければならない――そういう想いが両社の中にあり、情報機器分野を中心に再編成を進めてきたわけです。もっと端的に言えば、開発や営業の力を大幅にアップさせ、世界市場でトップスリーくらいまでにいないとグローバル競争に勝ち残れないのではないか、という強い想いが両社にあって統合に踏み切ったともいえます。今日に至っては、最初の狙い通り情報機器分野が大きくなり、売上高の6割、営業利益で8割というところまできています。
その一方で、フィルム、カメラ、そしてミニラボなどフォトイメージング分野については、2006年1月に撤退を宣言し、約1年をかけて事業を終息させました。そして成長分野に経営資源を集中させる体制をつくってきたわけです。
── フォトイメージング分野は両社の礎となった伝統事業ですね。辛い決断だったと推察します。
太田
いわゆる「選択と集中」です。創業事業とはいえ、放置すれば毎年数百億円の損失につながる事業を何とかしなくてはならなかった。撤退は私1人で決めたわけではなく、収益の低いままに続けていくことの是非を議論したうえでの取締役会の総意ですが、希望退職制度を含め、約1000億円を投入せざるを得ませんでした。
ソフトランディング論もありましたが、将来に禍根を残さないようにするには、多額であってもここで、損失を一挙に確定し、株主の皆様にきちんと説明するのが正しいと判断したのです。世の中、需要も技術もどんどん変わっていきますから、同じことをずっと繰り返していては企業は成り立っていきません。
── コニカとミノルタは当時、両社とも売上高5000億円前後で、非常にバランスの取れた結婚相手だったような気がしますが、お互いどの辺りがチャームポイントに見えたのでしょうか。
太田
ミノルタのほうは箱ものといいますかカメラ、複写機などに技術があり、コニカのほうはケミカル(化学)とフィルム分野に強く、開発力や資源を持っていました。強いて言えば、その辺の噛み合わせでしょうね。
当社のオフィス用フルカラー複合機は現在、世界各国でナンバーワンのポジションをいくつも取っていますが、フルカラーというのは単に箱とソフトだけではなく、トナーが不可欠になってくるわけです。それもチョコレートのような板状のものをつくって砕いて粉にするという従来の製法ではなく、チェンバー(槽)の中で培養していくという高度な製法になっています。私は昔、カラー印刷機器をやる時には再現される画像や、綴じて製本した際の仕上がりを考え、コニカが開発していた重合法トナーがいいと密かに狙っていたものでしたが、コニカとの統合によってそれが現実のものとなり、今日の高いシェアを得る要因につながったと考えています。