巻頭インタビュー私の人材教育論 努力できる環境をつくり 努力を評価することが 挑戦し続ける人材を育む
2001 年、IT バブル崩壊の影響で、2 期連続の赤字に陥った三菱電機。翌年、代表取締役社長に就任した野間のま口くち有たもつ氏は、「Changes for the Better」を社員に呼び掛け、1人ひとりがチェンジエージェント(改革の推進者)であるという意識改革を断行。「選択と集中」を徹底した結果、業績を2 年で回復させた。そして、「知財重視の時代」といわれる現在、日本企業が必要とするのはどのような人材なのか。2006 年に取締役会長に就任し、知的財産に関するさまざまな要職にも就く野間口氏に、求められる人材像と、その育て方について伺った。
仕事が人をつくり、人が仕事をつくる
── 野間口会長が入社なさったのは1965年、東京オリンピックの翌年です。戦後の日本が、ようやく先進国の仲間入りを果たしたといった感じだったのではないでしょうか?
野間口
そうですね。いわゆる“技術導入の時代”の終わりの頃でした。日本企業は、欧米企業と提携することで先進事業、先進技術を効率よく日本の社会に持ち込もうとしていました。キャッチアップの優劣が企業の競争力を決定づけた時代ともいえます。
もちろん一方で、いつまでもこれではいけないという焦りがあったのも事実です。明治維新以降、戦後も一貫して日本は海外から技術を導入し続けていたわけですが、日本企業も自ら技術を生み出す力を持って、技術的になんとか自立しなければいけない、という想いが具現化され始めた時代でもありました。この頃、多くの日本企業が、社内に中央研究所を設立しています。
── 野間口会長が入社後に配属されたのも中央研究所でしたね。
野間口
我々は当時、「君たちは20年、30 年後の世の中を相手に研究しなさい」と言われたものです。ですから中央研究所には、企業の中の象牙の塔*といった趣がありました(笑)。私の研究所には、核融合や電磁流体力学発電などの研究チームがありました。もちろんこれらは実現していませんが、そういうものを一企業が大学と肩を並べて研究しようとした時代だったのです。
当時の日本企業は、欧米企業に追いつくことに汲々としていたこともあって、技術者は皆、「将来は我々が技術の先陣を担うのだ」という想いを持っていたと思います。私自身も、入社当時は象牙の塔的な研究をやっていきたいと思っていました(笑)。ただ、企業の中の研究所というのは、やはり製品に直結した開発を行う場。ですから、製品の研究開発にも携わるようになって、逆に20 年、30年後を見据えた研究では得ることのできない手応えをつかむことができました。実際の生活に貢献しているという実感です。
── 実際に、どういった事業にかかわったのですか?
野間口
入社後、まず私が手伝ったのが発電プラントの遮断装置の解析でした。次に電磁流体力学発電の研究チームに参加しました。ここまでは、いわゆる象牙の塔的な仕事ですね(笑)。
そして次が、空調機器の開発支援。後に事業化されたクリーンヒーターという製品です。私は研究所にいながら「どうやったら、お客様に安心して使っていただける品質の高い製品を大量生産できるか」を考えていたのですが、それを実現するために、工場で働く人たちが一丸となって働く姿を目の当たりにした時、「なるほど、会社の仕事というのはこういうものか」と思い知ったのです。
工場には、実にさまざまな専門家がいます。材料から始まって、電気、機械、半導体などの担当者、そして生産管理や品質管理、営業部門を担う人たち。それぞれが自分の役割を認識し、的確な情報を提供するからこそ間違いのない判断ができるわけで、それによって優れた製品ができる。協同作業だからこそ生まれる相乗効果の大きさに息を呑む思いでした。
それまで私は「俺は相当なものだ」と少々うぬぼれていたところがありましたが、まったく違うと反省しました。ひとつの仕事、ひとつの製品が成し遂げられるには、縁の下の力持ちとして活躍する多くの人たちがいるからこそだということがわかったのです。リーダーシップとリーディングコンセプトの重要性、加えて、これを納得したうえで協力的に参加するという働き方の必要性などを理解するとともに、先輩方の活躍を見て、本当に頭が下がる思いがしました。
当社には、「仕事が人をつくり、人が仕事をつくる」という言葉があるのですが、新入社員当時にはピンとこなかったこの言葉が、なるほど、その通りだなと実感できたのも、まさにこの時。私が30歳くらいの頃でした。
ただ乗りと揶揄された日本の技術力
── 中央研究所の設立ブームに続く1970年代は、日本企業が技術自立をしようともがいていた時期ということになるでしょうか?
野間口
1980年代もまだ、技術自立ができているとは言えませんでしたね。あの頃の日本は、欧米企業から「技術ただ乗り論」や「基礎研究ただ乗り論」を盛んに指摘されました。