連載 ベンチャー列伝 第 8 回 社員の主体性・自律性を育む ブログを使った人材育成
国産T シャツメーカーの久米繊維工業では、社長以下スタッフ全員が自分の名前を冠にしたブログを持ち、広報活動と社内外との情報交換を行っている。それが個々人の仕事へのやりがいと主体性・自律性を育み、人材の育成・活性化に大きく貢献している。
いずれ家業を継ぐためにベンチャー企業に就職
久米繊維工業は1935 年創業の老舗繊維メーカーでありながら、国産Tシャツ製造に特化していった企業である。創業当初はメリヤス製造の町工場としてスタートしたが、1950 年代半ば、映画青年だった2 代めの久米信市氏が、これからは日本でもT シャツを着る時代が来ると直感し、T シャツ専門メーカーに転身。高品質な製品を作り続けてきたことにより、1990 年代以降の安価な海外製品の波に飲まれることなく、国内外のアパレルブランドや顧客から支持を受けてきた。
同社が現在の成長を遂げることができた背景には、高品質な縫製、プリント技術という独自の強みと、インターネットという新しいメディアの融合があった。顧客獲得と人材育成にブログなどのインターネットメディアを使ってきたのである。
そのビジネスモデルと人材育成の仕組みを確立した久米信行氏は同社の3代め。長男だったため、家業を継ぐことを幼い頃から決めていた。大学卒業時には、将来、家業を継ぐ前の修行として、さまざまな経験ができそうだったベンチャー企業のイマジニア(ゲームソフト開発会社)へ就職することに決めた。
「イマジニアでは何より、商いのイロハを学ぶことができてよかった。それは、商品を自分で企画して自分で作って自分で売り込む、これが商いの基本であり醍醐味だということ。この考えは現在でも変わっていません。
さらに、情報発信の基本も学びました。情報とは“相手が知りたいこと”。それを探って伝えることで自分の存在価値を認めてもらえた時に初めて“情報発信ができた”と言えます。実際、情報を提供して喜んでもらえた時、とても嬉しかった」(久米氏、以下同)
その後ひょんなことからソフト開発能力を買われ、かつての日興證券へと転職。金融の世界で、バブル絶頂期とバブル崩壊という、まさに“天国と地獄”を経験した。そんな中でも、前職で学んだ情報発信の基本が役立った。
「株価の暴落により大損をしたお客様を前に、あるフォーラムで何らかのテーマを立ててお話しなくてはいけない機会がありました。怒り心頭状態のお客様は今、どんな情報を求めているのか── 必死で考えたあげく『なぜ、株価が暴落することに皆、気づけなかったのか』について自分なりに調べ、ご報告することにしたのです。結果、お客様に納得いただき、喜んでいただくことができました」
家業を継ぐ前にジャンルの違う2 つの企業で、商いの基本や情報発信の大切さ、顧客意識などを学んだことは、久米氏のその後にとって非常に大きな経験であった。
インターネットの世界と下町の共通点とは
久米氏の顧客ニーズに応えるという商売人気質は、もともと氏が育った墨田区の“下町”にあふれていたものだ。下町では、近所の皆がお互いを知っている。隣の家との壁がなく、近所の人との接触が日常的にある「お互いさま」「おかげさま」の世界。だからこそ、それぞれが相手の立場を考えて行動するようになる。環境が、人と人との付き合い方に大きな影響を与えているのだ。さらに、いざという時には、誰かが自分を支えてくれるという心強さが下町の人にはある。