連載 ベンチャー列伝 第 11 回 想いを伝え続ければ 人は自ら動き出す
老舗和菓子屋である曙の3 代め社長細野佳代氏は、まず相手の話を聴き、そのうえで自分の希望は伝え続けるという独自のマネジメントスタイルを確立。従業員1 人ひとりが小さな成長を積み重ねることを重視している。
結果につながるのは小さなことの積み重ね
「 銀座あけぼの」は、全国各地のデパートに店舗を設けていることでも知られる老舗の和菓子屋である。2004年からその社長を務めるのは3 代めの細野佳代氏。「初めは社長になるつもりはまったくありませんでした」と笑いながら語るが、そもそも大学卒業後、入社した時の動機は「父親の会社に何年か置いてもらえば……」といった、どちらかと言えば後ろ向きのものだった。しかしそんな細野氏も、最初の配属で大きなショックを受けることになる。
当初配属されたのは、16人中半数が障害者という工場。そこで、障害者の人たちの仕事ぶりに驚いた。1 人ひとりが真摯に、必死に働いており、しかもベテランなのだ。その姿を見て細野氏は、自身の仕事に対する考え方の甘さを痛感。「これではいけない」と心を入れ替え仕事に取り組んだ。そして、皆に追いついてくると、工場の生産性を向上させる取り組みに従事し始めた。
「障害者の方には細やかに、本当に具体的に指示をしないと、ちゃんと伝わりません。仮に、1 時間でこれだけのお菓子を作るという目標があった場合、壁に大きな紙を貼って棒グラフでお菓子の個数を表し、何時までにここまで作りましょう、そのためにはこうしましょう、と示していきました。それまで片手でお菓子を取っていたのを両手で取る、あるいはスピードを上げるためにテンポのいい音楽を流すなど、いろいろな工夫をしました」(細野氏、以下同)。たとえば、障害のために背の小さい人に踏み台に乗ってもらったところ、とても速く作業ができるようになったという。
それまで細野氏は、仕事というのは大きなプロジェクトに沿って進めていくものと思っていた。しかし、工場でのこうした経験を経て、小さなことを皆で協力して積み重ねていけば、結果につながるのだと実感した。それからというもの、仕事が楽しく感じられ、ますます仕事に身が入っていった。
その後、店舗勤務や商品企画、営業と、担当するフィールドは変わっていったが、細野氏の仕事に対する考え方や態度には、この最初の工場での“原体験”が非常に大きな影響を及ぼしているという。
人の意見を聞き周囲の力を信じる仕事へ
そんな細野氏も、結果を出したいがために暴走してしまったことがあった。入社して数年、企画室や営業を兼任するようになった20 歳代後半のことだ。
「企画室長となった時、当初7 人いた部下が、2 年後には2 人しか残っていませんでした。そのうちの1 人が、辞める際に心の内を打ち明けてくれたのですが、その時、私が彼らの話をよく聴かなくなっていたこと、ダメ出しばかりで頑張りを認めようとしていなかったこと──つまり部下の気持ちを理解していなかったことを思い知りました」
優しそうな外見からは想像できないが、「本来は、ズケズケとモノを言う性格」と語る細野氏。当時も周囲に対して厳しいことを言っていたという。たとえば課長に「役職者なら、こうできなくてはおかしい。給料にふさわしい価値を生み出していない」──といった具合だ。そうしたストレスに耐え切れなくなった部下が、次々と辞めていったのである。しかし細野氏は、こうした苦い経験を経て、人を動かすには、厳しい“正論”を言うよりも、のちに語るように、本人が日々変化や工夫を重ね、少しずつでも良くなるようにしていくほうが結果につながると思うようになっていった。そして、とにかくコミュニケーションを密にして人の意見を聴き、信頼して任せていく方向へと、自身の仕事の仕方を大きく変えていった。
2004年、細野氏は社長に就任するとすぐに、このような経験から形作られた、経営や人材マネジメントに対する自身の考えを“ビジョン”としてまとめ、会社としての方向性を打ち出していった(図表)。