連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 自らの枠を超える経験が人を伸ばす
2007年からGE のクロトンビル リーダーシップ ジャパンのリーダーを務める田口氏は、初年度に部門として初の黒字化と研修受講者数の過去最高記録を達成。この功績により田口氏は、アジア太平洋地域から唯一、2008年度初頭に開催されたGEの全世界CLO 会議に招聘される。ここに至るまで、田口氏は自ら困難に挑戦することを選んできた。40代になってから仕事を辞め、大学院に入学し、勉強に賭けたこともその1つだ。年齢に関係なく、経験から大きな学びと成長がもたらされることを体現する田口氏に、教育に対する想いを聞いた。
自らのキャリアを変える学びへの決意
GE の企業内大学であるクロトンビルは、優れたリーダーを多数輩出する機関として世界的に名を知られている。まさにリーダー開発の聖地だ。今、そのアジアパシフィックでプログラム・マネジャーを務め、日本GE 全体の人材開発を担うのは田口力氏である。田口氏が現在のように国境を越えて人材開発の仕事をする立場になったのは、そもそも2002年の“決断”があったからだと振り返る。
決断とは、経営と人材マネジメントについて学び直すために、仕事を辞め、私費を投じて一橋大学大学院に入学したこと。これは一家の大黒柱である田口氏にとって、勇気がいることだった。そして、この一大決心をさせたのは、自身のキャリアに対する強い危機意識。このままでは、これ以上成長することはできないと感じていたのだ。
田口氏のキャリアは、1983年に日本生産性本部に入職したところから始まる。産業界の人材マネジメントの動向をウォッチすると同時に、さまざまな切り口から情報を発信した。そうして15年も経つ頃には、人材開発に関して「自分は専門家である」という自負を持つようになっていた。
その実績が評価され、1998年に日本人材マネジメント協会(JSHRM)設立プロジェクトを任される。これは、人事のプロフェッショナルを育成しようというもの。さまざまな企業の人事担当者を集めて、2000年に設立を実現させた。そして田口氏は、パリで開催された世界人材マネジメント大会に、日本代表としてこの協会メンバーとともに参加した。
この時、海外の人事専門家と接して田口氏の人材開発のプロとしての自負は砕けた。海外の人事専門家たちの知識と思考のレベルが、はるか上に感じられたからだ。彼・彼女らは専門知識が豊富で、その多くがMBA 取得者。実際、彼らとの会議では自身の力不足を実感することが少なくなかった。
しかし、この経験は田口氏の成長意欲をかき立てた。自分の能力を高め、海外の人事専門家と互角に意見交換をできるようになりたい。グローバルに自分の力を試してみたい──こうした想いが生まれ、冒頭で述べたように一橋大学大学院の経営学修士に入学し、守島基博教授が指導するMBA および研究者養成コースのゼミで学ぶことにしたのだった。田口氏、41歳のチャレンジである。
言葉の壁を越え新しい世界に飛び込む
大学院では社会人経験があるということは相当なプレッシャーになった。できて当たり前だと思われたからだ。田口氏自身も、大学院を優秀な成績で卒業しようと決意。課題の提出や修士論文の作成、予習のために、睡眠時間3 時間のハードな生活で乗り切ったと言う。その努力は実り、1 科目を除きすべてがA 評価。修士論文も高い評価を受けた。
実は大学院卒業の際、田口氏はすでに元日本GE の人事部長A 氏からGE で教えてみないかと打診されていた。だが、英語に自信がなかったため断ったと言う。結局、指導教授から紹介されたアルバイトとしてNTT データのビジネスケースを執筆したことが縁で、大学院を卒業した2004年にはNTT データユニバーシティに入社することにした。
大学院でも学び、人事・人材開発の実務を経験した田口氏は、次第に「いずれは人事コンサルタントとして独立したい」と考えるようになっていった。そして、2007年にNTT データユニバーシティを退職し、実際にコンサルタントになる準備を始めた。すると、この話を耳にしたGE のA 氏から、再度入社の誘いを受けた。
まだ言葉の壁を感じて躊躇する田口氏に、A 氏は、「とりあえずクロトンビルジャパンのマネジャーと一度話をしてみないか」と勧めた。田口氏は就職するかどうかはともかく、世界に名高いクロトンビルで働く人材開発のプロと意見交換をしてみたいという思いから、面会に出かけた。この面会が、田口氏の運命を変えることになる。この後、GE の採用を担うさまざまな人── GE 本社の人事部長、日本GE の社長、クロトンビル本体のアジアパシフィックのCLO、人事責任者などと電話会談を行うことになり、A 氏だけでなくトップからも誘われたのだ。
「クロトンビルから誘われた、というのは嬉しかったですね。人材開発の専門家として、究極のポジションのように思えたからです」
英語に不安は残ったが、「英語は慣れ」というA 氏の言葉に勇気付けられ、田口氏はGE への入社を決めた。