連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 多様な価値観の受容と 経験による気づきが人をつくる
東京ガス人事部人材開発室長の細谷功氏は、ガスのパイプラインの建設業務からキャリアをスタートさせた。その後22年のほとんどをエンジニアとして過ごしてきたが、マレーシアでのガス事業立ち上げや、米国でのガス事業の調査研究などの経験を重ねるごとに視野が広がり、自分の成長を実感できたと言う。細谷氏は、多くの経験から気づきを得て、多様な価値観を受容することができるようになったのである。そしてこれを人材育成に活かしたいと考えるようになり、人事部へと異動する。「人は経験を通じて成長する」と話す細谷氏に、その想いを聞いた。
相手の価値観を受け容れ自らを変容させる
「経験から人は学び、経験が人をつくる」。2007年4 月に東京ガスの人事部人材開発室長となった細谷功氏はこう語るが、氏のキャリアは、まさにこの言葉を実感させる。
大学では理工学部に所属し、大学院では土木工学を学ぶ。「人の役に立つ大きな建造物を手掛けたかった」と話す細谷氏が東京ガスに就職したのは、日本がバブル景気に沸いていた1988年。3 カ月の研修後、細谷氏は現場に配属され、ガス導管、いわゆるパイプラインの設計や建設、維持管理と、エンジニアとしてのキャリアを着々と重ねていった。
そして、最初の転機は入社4 年めにやってきた。マレーシアに設立されるガス会社のパイプライン構築に関する実務に携わり、現地スタッフの育成指導に当たることになったのである。この時細谷氏は29歳。派遣された中では、最も若手のエンジニアだった。
実はこの仕事は、社内公募で募集され、自ら志願したものである。いつか海外で仕事をしたいと留学をめざして入社当時から準備をしていた細谷氏は、英語のコミュニケーションについてもある程度の自信を持っていた。
しかし、現実は厳しかった。現地に派遣されたメンバーは全部で20名ほど。そのうち半数は管理職で、もう半数が公募で選ばれたエンジニア。ほとんどのエンジニアが30 代半ばで、10年以上のキャリアを持っていた。「現地スタッフの育成は、日本側エンジニアに課せられた非常に重要な任務でした。そして、“ものづくり”の伝承では、経験に基づいて技術を噛み砕いて伝えることが大切ですが、私は他のエンジニアに比べて経験が圧倒的に少なかった。3 年半ほどの現場経験では、経験から語ることができず、スタッフの指導も難しかったのです」
細谷氏は、経験という引き出しを多く持っていた他のメンバーと自身との間に、越えられない壁を感じた。自分には実務はできても、育成はできないのかもしれないと思ったのだ。
マレーシアでの仕事の契約更新は1年ごとだったため、細谷氏は焦った。このままでは日本に返されてしまう。そこで、細谷氏は自らOff-JT を企画して実行。終業後、現地スタッフ向けの勉強会を開いたのだ。現地スタッフに、かけがえのない仲間として認めてもらうためである。
この勉強会はとても歓迎されたが、それも最初のうちだけ。回を重ねるごとに参加者が激減したのだ。忸怩たる思いを抱えていた細谷氏を救ったのは、現地スタッフの一言だった。
「貴方は間違っている。日本では汗して働かなければ生きていけないのだろうが、熱帯のマレーシアでは庭のバナナを食べていれば生きていける。貴方の価値観は我々とは違うのだから、我々が求めているものを提供してくれないと人は集まらないよ」
このアドバイスは、細谷氏に大きな気づきをもたらした。
「技術指導の場でも勉強会でも、私は彼らに日本式のやり方を押し付けていたのです。しかし、他の人の価値観を認めたうえで取り組まなければ何事も前に進まないのだと、この時気づかされました」
生活環境が違えば、価値観も異なる。エンジニアとしての経験の差という壁を埋めることはできなかったが、マレーシアでは、身をもって価値観の幅を広げることができた。そして、自分の価値観の幅を少し広げると、次々に新しいものを吸収できるようになるということも実感したという。