連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 決断経験値を高めることが 1人ひとりの成長を速める
「より速いスピードで成長したい」と考えてサイバーエージェントに転職した曽山哲人氏。当時24歳、IT 産業黎明期だった。そして、その願い通り、同社が急成長を続けるのに従い、曽山氏の活躍するフィールドも数カ月単位で広がっていった。そこで実感したことは、正解のない新しい産業では、1つの決断が結果を大きく変えるということ。だが決断力を磨くには、意思決定を行う経験を重ねるしかない。現在、同社の取締役人事本部長として、いかに社員たちに“決断経験値”を高める場を提供できるかに心を砕いている曽山氏に、教育にかける想いを聞いた。
やりがいのある仕事を通じ自らを成長させたいという想い
1998年、わずか3 人でスタートしたサイバーエージェントは、2 年後の2000年3 月には上場を果たし、次々に新しい事業を立ち上げ、他に例を見ないスピードで成長を続けてきた。
曽山哲人氏が同社に転職したのは1999年、24歳の時だ。社員はやっと20名になった頃だったと言う。それが、今や社員数約2000名。連結の売上高は938億円である。そして現在曽山氏は、35 歳になった。
サイバーエージェントのビジョンは「21世紀を代表する会社を創る」ことだが、これに連動して曽山氏のビジョンも「世界で最高レベルの事業と人材を育成できる企業を創ること」である。10年後の45歳までに、これが実現できればいいと曽山氏は話す。海外のメディアから「なぜサイバーエージェントはここまで成長できたのか」といったテーマで、取材されるようになっていたいと熱を込めて語る。「今後ずっと人事担当として仕事ができるかどうかはわかりませんが、どのような立場になったとしても人づくり、組織づくりにかかわりたいですね」
実は曽山氏は元々、組織づくりに強い関心があった。大学時代、ラクロス部のキャプテンとしてチームづくりに尽力してきたからだ。
「3 部まであったリーグの2 部の下位というレベルの大学だったのですが、キャプテンとしてなんとかチームの成績を上げたいと必死でした。しかし結果がついてこなくて……」
大学卒業後、曽山氏の提案で先輩をヘッドコーチに招聘したところ、わずか1 年でチームは1 部昇格を果たした。
「戦略の実行、人材配置の妙、さらに人材育成がいかにチームのパフォーマンスを効率的に上げるかがわかり、チーム運営や人を育てるといったことにすごく興味を持ったのです」
もっとも、人事の仕事に就きたいと思っていたわけではない。ラクロスでは勝敗だけでなく、広報活動という面でも貴重な経験をした。自分が企画したことが形になっていく充実感。就職しても、そうした喜びを得られる、やりがいのある仕事がしたかった。そして、仕事を通じて自らを成長させたかった。フィールドも業界のリーディングカンパニーにしようと考えた。業界のナンバー1 企業で、自分の力を試したいと思ったからだ。
ところが、バイヤーとして市場を動かすような仕事をしたいと老舗百貨店に入社したものの、1 年で退職する。理由は、百貨店で与えられる仕事のペースでは、望むようなスピードで自分を成長させることはできないという、渇望にも似た気持ちがあったからだ。もっと早く成長するために時間軸が速い企業に行きたかった。
結果を出したいというベンチャー企業の熱気
3 月末に退職してから転職活動をスタートしたものの、わずか1 年の社会人生活では転職市場で評価してもらえない。そんな時、サイバーエージェントの「第2 新卒募集」の広告を就職情報誌で見つけた。これが4 月1 日のこと。即座にホームページを確認しメールを送ると、翌日面接に来るようにとの連絡が来た。2 回目の面接が9 日。その夜に内定をもらい、16日には入社した。退職から入社まで、わずか2 週間。望んでいたスピード感だった。
100年を超す歴史を持つ老舗百貨店から、当時25 歳の藤田晋社長が立ち上げて1 年にも満たないIT ベンチャーへの転職。国内のインターネット人口が1000 万人を突破した1999年である。インターネットという新しい産業に大きな注目が集まっていた。
入社した最初は、社内の雰囲気が前の職場と違うことに戸惑った。
「社内がすごく静かなのです。真剣に仕事をしているので、余計な話を一切しない。結果を出したい、成長したい。これがベンチャー企業の熱気なのかと圧倒されました」