特別対談 ラーニングイノベーション出張版 人を育てられる管理職は どうすればつくれるのか
部下を育てられない上司――。日本企業で大きな問題として挙がっているテーマの1 つだ。経済が世界規模で転換点を迎え、日本企業の競争力低下が再認識され始めた今日、その原因を企業内人材育成機能の低下に求める声も出始めている。日本企業再興のためにも、この問題をどうとらえ、対処していけばいいのか。折しも『リフレクティブ・マネジャー』(光文社)を記した東大・中原淳准教授と神戸大・金井壽宏教授の両名が、その対応策について論を交える。
人をつくるか環境をつくるか
中原
近年、部下を育成できない管理職が増えているとの声をよく耳にします。私も、さまざまな企業にヒアリング調査に出かけていますが、そのような声を人事部の方からお聞きすることが非常に多くなってきました。この問題について、金井さんは、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
金井
管理職になったばかりの人が部下のマネジメントに戸惑うという現象は、いつの時代にもありました。ただ、その普遍的な現象に、時代固有の事情が重なってきています。
現在この“管理職の戸惑い”に直面しているのが、バブル期に入社した人たちです。彼らは入社後にバブル経済が弾け、採用が非常に絞られていった時期に若手時代を過ごしました。そのため、入社から5 年、10 年を経ても後輩ができず、人に何かを教えたり、質問されたりといった経験を持たないで成長してきたのです。
もう1 つ見逃せないのは、生き生きとしたチーム経験の少なさです。バブル経済崩壊後の15 年は、人員を絞り、少人数でより多くの仕事をこなそうとしました。助け合ったり、支援し合ったりする余裕がなくなったのです。そこに、IT 化の進展や、成果主義が不適切な形で導入されたことが、その状況に拍車をかけました。
かつては10 年のうちに3 部門くらいを異動し、その過程で社内人脈をつくっていったものです。自部門内はもちろん、他部門からの支援を受けながら仕事をした経験を、誰もが持つことができました。それにより、仕事は自分1 人でするのではなく、さまざまな人の支援の中で成り立っていることや、自分もチームの一員として貢献することが大切なのだといったことを、体感的に身につけることができたのです。
ところが、採用抑制で仕事が“タコツボ化”し、異動や共同作業ばかりか、リーダー的な役割を担う経験も少なくなった。そんな中で、見るからにつらそうなプレイングマネジャーを身近に見れば、「管理職になりたくない」と思うのもわがままとは言えません。
若手時代に他の人々と共同で働くことの意義と喜びを覚え、やがて管理職になる。そこで今度は、自分がチームを率いて1 人ではできないことを実現していく。その中で若手が育つという経験をしていくと、それが新しい喜びとなっていく――。このような経験を、現在の職場の中でいかにつくり出すかが大きなテーマだと思います。
中原
そうですね。人を成長させるような“経験のデザイン”がますます重要になってきていますね。しかし、これは、さらなるアポリア(難問)を私たちが抱えることでもあります。「それじゃ、どのようにして経験をデザインするのさ?」との問いが無限遡及し始めるからです。
一般的な学習論では、人が育つには、ちょっと背伸びをしないとできない課題を、適切なタイミングで与えることが必要だと言われています。しかし現場では、そんなちょうどいい仕事がないのが現状。かつてより仕事のサイズが大きくなり、スピードも求められる中で、適切なタイミングを待てないほど目先の仕事に追われています。仕事の「サイズ」「スピード」「タイミング」――この3 つの適切さが失われていることが、現在の職場が人を育てにくくなった原因であると感じています。これを管理職1 人が抱えて人を育てるのは、私は不可能だと思っています。
そんな状況下で1 つのヒントとなるのは、「管理職自身が1 人で人を育てるのか」、それとも「人が育つ環境をつくるのか」という問いです。仕事のサイズ、スピード、タイミングが不適切な中で、直接的に管理職が部下にかかわって人を育てていこうとするのか。それとも、職場の人たちに協力を仰ぎつつ、職場の風土を変え、相互に助け合い、支援し合える環境――つまり、独立した個が、やる気になりさえすれば、さまざまな支援を受けられる環境をつくり、後は、そこで部下が育つのを待つのか。どちらが良いのかということです。
ただし、どちらもデメリットがあります。前者は育成の大半を1 人が担わなくてはならず、管理職の負担が大きくなります。後者は職場の関係性を、いかにうまくつくっていくかが課題になります。
長期的視野に立った場合、私は「環境づくり」のほうに軍配を上げます。それを支持するいくつかの研究知見も出てきていますが、何よりもまず私は、管理職の背に重くのしかかった“人材育成”の荷を軽くするべきだと思うのです。それによって仕事に注力できる体制を整えてあげたい。管理職は、“先生”ではありません。人材育成は職場の人々で分散して担うべきだと考えます。
とは言え、このことは、管理職が担っている育成責任を放棄せよ、と言いたいわけではありません。育成責任は保ちつつ、そのやり方を自分1 人で抱えるやり方から、「人々が分散して育成を担えるやり方」に変えていくことが重要だと思っています。
金井
人を育てる“環境づくり”という点では、人員構成上、難しい部分がありますよね。求められている仕事をこなすのに、ふさわしい能力を持った人材が必ずしもいるわけではないし、そもそも人が足りないからです。
端的に言って、今の課長や部長を見て「自分もあんなふうになりたい」とは思えないでしょう。人もいない、予算もない、時間もない中で四苦八苦。「あんなに大変なら、なりたくない」と言うのが本音でしょう。逆に、仕事ができる管理職で、部下が二十数人いて、人員構成も良くて、管理職でも6時に帰れるという姿を見れば、皆が自然と「部長、課長になるのもいいな」と思えるのではないでしょうか。隔世の感がありますが、かつては、そんな職場が結構あったのです。