連載 調査データファイル 第99回 OECD 生徒の国際学習到達度調査(PISA)より 企業を揺るがしかねない 学生の学習意欲低下
大学が、就職するための通過施設と化している。
本来、大学で専門性の高い学問を身につけ、それを土台に仕事を得るはずの学生たちは、学業をそこそこに就職活動に精を出す。
一般教養で身につけた教養は社会に出てからも親密な人間関係づくりを助け、専門課程での高等教育はプロへの足がかりをつくる。
ところが現状は、勉学はそこそこに志望企業だけは一流を狙う学生が多い。
企業が自社を背負って立つ人材を得ようと思うのなら、積極的に学校教育に参加する姿勢が必要なのではないか。
1.歴史、教養分野への関心が低い大学生
長年、大学生に経営学の講義をしていて心配になるのは、年々経済史の知識や一般的な教養のレベルが低下してきていることである。たとえば、日本列島改造論による高度経済成長策を行った田中角栄首相のことを知っている(詳細な内容ではなく、名前を聞いたことがある程度)学生は、100人中数名。また、夏目漱石は知っていても、ほとんどの学生が森鴎外を知らないといった状況。さらに、大半の学生は、古典といわれている名作を1 冊も読んだことがないようである。
教養の大切さを教える教師が、果たして何人いるのかといったことも心配である。教養がなくてもビジネスはできるが、取引相手との親密な関係を築きにくいといったことが起こる。かつてヨーロッパの企業人に、「日本人ビジネスマンは歴史や芸術に関する話題にほとんど関心がなく、まるでビジネスマシンのようだ」と侮蔑的な表情で言われた記憶がある。
2.国際比較でも学力は低下問題発見能力が苦手傾向
学生の知識欲や学習意欲の低下は、学力の国際比較にも明確に表れてきている。OECD(経済協力開発機構)が、義務教育修了段階にある15歳の生徒を対象に、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーについて実施した国際学習到達度調査(PISA)によれば、いずれの分野においても日本の順位は低下している(図表1・2・3)。
数学的リテラシーは、2000年1 位から2006年には10位に大幅に順位を低下させているが、分数の計算ができない大学生がかなりの割合でいるといった信じられない話も、この調査結果を見るとうなずけるような気がする。
なお、OECD は科学的リテラシーの結果(図表4)から、日本について以下のような興味深いコメントを発表している。
「PISA は単なる各国の国際的順位以上のことを示している。何よりもまず、重要な学習分野における各国の相対的長所と短所がわかる。日本がよい例である。科学的証拠を用いる能力、つまり知識を再現し、証拠を解釈することにより結論を導き、その基礎となる論拠を特定する能力の評価では、日本の生徒は極めて良い成績を収め、544 点を獲得した。それとは対照的に、科学的な疑問を認識すること、つまり科学的に探ることができる問題を認識し、科学的探求に必要な要素を見つけ出すという課題では、日本の生徒は苦労しており、成績は522点だった。ここで明らかになったのは、日本の生徒はさまざまな科学分野にわたり素晴らしい知識基盤を備えているが、初めて出会う状況で、知っていることから類推し、知識を応用する必要がある場合や、問題と取り組む前に科学的問題を特定し、組み立てる必要がある場合は、成績が下がるということである。これは今回の調査で明らかになった重要な点である。なぜなら、生徒が単に科学的知識を記憶し、その知識とスキルを再現することだけを学習しているのだとすれば、多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適した人材育成を主に行っているというリスクを冒していることになるからである。日本で現在行われている教育改革は、こうした問題意識に立ったうえで、科学的問題を特定し応用する力を育成することに重点を置いている」*
日本の学生は、問題解決能力は高いが問題発見能力はそれほど高くないというわけである。従来のキャッチアップ型の競争であれば、問題解決能力が高ければグローバル競争に勝てたが、すでに韓国、台湾、中国といった後発国に追い上げられている。そうした現状を考慮すれば、将来的にはOECDが指摘する教育改革を迅速に実施する必要がある。なぜなら、現在グローバルな市場で求められているのは、独創的な仕事ができる人材だからである。