連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 地道に1500人の声を聞き ニーズに合った教育を施す
横浜ゴム
グローバル人事部
横浜ゴムグローバル人事部人材開発グループ担当課長の若林真知江氏は、「育成の仕事のお客様は従業員」だと話す。顧客である従業員の求める教育を行うためには、真のニーズを聞き出さなくてはならない。そのため、若林氏は従業員との対話を大切にしている。とにかく徹底的に従業員と面談するのだ。離職率が高まれば退職面談制度を設け、退職者と話す。教育制度を構築する際には、問題点を探ると同時に教育の必要性を面談で訴える──こうした地道な努力で、社内の人材育成に対する意識を高めてきた若林氏の、教育に対する想いを聞いた。
明確な目標に向かって確実に結果を出す
学生時代の想いとは異なる仕事に就く人は少なくないが、横浜ゴムグローバル人事部人材開発グループ担当課長の若林真知江氏の場合は、進路変更のふり幅の大きさに驚かされる。若林氏は大学で医療を学び、1994年に社会人としてスタートした際には、臨床検査技師として患者の生体検査を行っていた。
横浜ゴムに転職したのは1998年。創立80周年を記念して新たに設立することになった研修センター“湘南セミナーハウス(SSH)”の施設運営スタッフとして入社したのである。
「人生最期の時を幸せに過ごしていただけるような老人ホームを創りたいというのが、大学時代からの夢でした。ですから、施設運営の仕事にぜひかかわりたいと思ったのです」
研修所長のもと、現場の指揮官としてスタッフの採用、教育を行い、営業や研修のコーディネートを手掛け、SSH の稼働率を上げていった。
SSH で若林氏に与えられたミッションは、 3 年でブレークイーブン(損益分岐点)を上回ること。それを半年前倒しで達成し、さらにと意気込んでいた若林氏に人事部への異動が命じられたのは2001年10月だった。
この年はちょうど、横浜ゴムが新卒採用を再開した年。若林氏には、内定者教育と翌年からの採用業務を担当してもらいたいということだった。
「当時は、入社3 年目までに3 割の新卒社員が転職するという“3 年3 割”といった言葉が話題になり始めた時代で、学生に知名度のない会社の採用は厳しいと言われ始めた頃でした。しかし、横浜ゴムは最終消費財を扱う会社ですし、当時CM では若者に人気のある織田裕二を起用していましたから採用は楽勝だろう、そう思って新しい職場に臨んだのですが……」
現実は厳しかった。数年間、採用を停止していたために大学とのつながりが切れてしまっていたのだ。また、採用の競争相手となる企業が同業他社だけではなく、自動車メーカーだということも、人材獲得を困難なものにしていた。しかも2005年度はバブル期に匹敵する“売り手市場”。企業の人材獲得競争は熾烈さを増しつつあった。
「でも、逆に燃えました(笑)」
採用のミッションは明快。募集人員は約50名。その約7 割弱を技術者が占める。採用の仕事は「いつまでに、求める人材を、何人」という明確な目標に向かって確実に結果を出す仕事なので楽しかった。
「戦略も立てやすいし、人事の中でも採用は本当に前向きな仕事です」
若林氏が立てた戦略のポイントは次の3 つ。①一緒に働きたいと思ってもらう、②メーカーとしての誠実さを伝える、③会社の商品を理解してもらい、ファンになってもらう。
「③の商品説明は自信がありませんでしたから、これは技術部の方々に手伝っていただき、私自身も会社の製品について学びながら、採用の仕事に夢中で取り組みました」
そして、なんと若林氏は、面接した学生全員にフィードバックをしたと言う。その数、約1000人。グループ面接であっても、1 人ひとりにどうしたら今後の就職活動に役に立つのかといった視点で、声をかけたのである。